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0344 「国民国家論の見直し」への旅 名無しの探偵 2010/12/18-17:10:11
このたび以前に在学していた放送大学に再入学する予定。修士論文が書けなかったからである。今回は表題のテーマにて再挑戦。
国民国家論の見直しというテーマであるが、20年あまり熟読してきた川北稔氏(長岡京市在住の歴史学者)の著作を道標にして国民国家の形成の歴史を検証していきたい

川北氏は近代世界システム論;ウォラーステインの翻訳者でもあるが、この立場によれば従来の歴史学が一国史的な
観念に限定していてそこから日本史、イギリス史という構成の歴史観になっていたところ、近代世界システム成立以後(おおむね17世紀ころ)は覇権国家という中央とその
国に植民地として従属させられた周辺地域、また半植民地にされた地域などに分類されてきたのであるから単なる一国の歴史に限定することはできないとする。
 
ウォラーステインによれば、近代世界システムの覇権国家は最初スペインであり、ほどなくオランダになりついでイギリスに移り19世紀後半にアメリカに移行したという。
スペインが覇権を失った時代の出来事としてスペイン無敵艦隊がイギリス海軍に敗退した事件を想起すれば十分であろう。この事件はハリウッドで映画にもなっている。

(「スペイン無敵艦隊」という映画であるが、内容はイギリスとの海戦が中心ではなく王女と軍人との恋愛に重点があり面白くない映画。)

スペインに勝利したイギリスがその後覇権国家にならなかったのはオランダがアジアとの貿易で有利な立場を確保したからである。キリスト教の布教に熱心なスペインなどが
日本などの対東アジア貿易に失敗したのと異なりオランダは日本との貿易を独占していたのである。このように当時
世界的に経済の中心地だった東アジアなどと貿易関係で有利な立場になることが覇権国家になる条件だったのである。
オランダから覇権を奪うことに成功したイギリスはではなぜ成功できたのだろうか。
川北・加藤共著「世界の歴史」25巻によればイギリスは
それまでアジアに輸出できる商品がなくインド綿(キャラコ)に独占されていたがワットの発明による紡績機械の改良で産業革命に成功し、輸入代替としての紡績商品をアジアに売り込むことで覇権を獲得できたという従来の説明である。
しかし、上記の産業革命によってイギリスは覇権国家になったという説明は誤りであり、実際には「いまや、イギリスは、主としてカリブ海域と北米の植民地に「綿工業製品」を輸出し、そこから、大量の世界商品つまり砂糖や
タバコを入手することができた。むろん、こうした世界商品の生産には、主としてアフリカ人奴隷が当たっており、
大西洋奴隷貿易の膨大な利益もあった。」「イギリスは産業革命に成功したので、帝国になったのではなく、帝国になったからつまり世界システムの中心になったから産業革命に成功したのである、」(同署285ページ)

こうして、オランダとの競争に勝利した(東インド会社も
オランダからイギリスのそれに中心が移ったことも)イギリスの従来の表現では単なる産業革命に最初に成功したイギリスという説明が今でもなされているが川北論文によればイギリスは三つ子の革命が進行していたという。
つまり、「商業革命」、「生活革命」、「財政革命」である。
商業革命に成功したイギリスは綿織物の中心地が従来東インドだったのが、「プリント地の鮮やかな染色」の点などで奴隷にされていたアフリカ人に好まれ奴隷貿易の必需品にもなったので植民地プランターの生活の「イギリス化」に役立ったという。
また、現在にも続くイギリスの食生活の変化たとえば熱い
紅茶に砂糖とミルクを入れて飲むティータイムもこのころ始まったと言われている。この伝統はイギリス帝国が植民地のカリブ諸島からの砂糖、半植民地にされた中国やインドなどの茶が日常の食卓に上がっていることからも証明される。日本人や中国人はお茶に砂糖を入れる習慣はない。
衣食住の基本的な生活の変化からも歴史の実態が一国で完結するものではないことが理解できよう。

世界システムの成立と国民国家の形成とがパラレルに進行してきた歴史が以上の説明から容易に見て取れる。この川北氏の著作は14世紀から20世紀までの長い射程を視野
いれているが結末部分で「国民国家」と「世界システム」も崩壊の兆しが現れているという。大きなアキレス腱として「環境問題」が挙げられているが、温暖化を筆頭に食料危機や経済成長も持続的な低迷を繰り返している。EUやアセアンなどの地域連合が国民国家を超えるまとまりが登場することになったのは十分な理由が存在する。

先週のコラムで鈴木さんも触れているように尖閣諸島問題に見られる国民国家の論理から200海里を根拠にして国際紛争を煽るのではなく、そもそも日本近海はともかく遠洋までも国家領土と主張する論理やルールは国家主権の無制限な主張同様時代錯誤になっている時代に差し掛かっているのかもしれないのである。 
以上