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0333 いまだ見果てぬと言うのか あの夢を 百山 2010/10/11-00:25:43
 格闘技なるものがある。勝者は、許されれば雄叫びを上げ、観る者は、汗して握り締めた両の手を高く上げて打ち鳴らし、それを賞賛する。
 幾星霜時を重ねようとも、このような情景の中に身を置いて歓喜するのは、唯一「理性アリ」を金看板とする「ヒト」といえども変えようのない性であって、それはまた、「より高み」を目指すに欠かせぬ力の源として涵養に努めるべきものの一つであることは、否定しようもないものとして今に伝わる。

 しかし、「ヒト」とは厄介なものである。個々の力を競い合うに止まらず、様々な「仕掛け」を考案し、集団としてそれを競い合うまでは良い。 だが、その「集団」が「国」という形を取ったとき、その内に生ずる第一の意識は悲しくも「排他」である。
 その心をもたらすものは何であるかへのさしたる洞察もなしに、声高に「排他」を叫ぶ者に和して更にそれを増幅させて、言われなく酔う。

 「戦争」、この忌まわしくも醜いもの。未だに世界各地にその火種は散在し、いつ燃え上がるかもしれないという懸念は去りやらない。

 この国・日本は、四囲を海にする島国。地形など天然の造形に多くの基を置くとしても、人為的に引いた線一本で、彼我を分かつ大陸に位置する国々とは異なり、いささか「国境なるもの」に対する感覚は鈍感であるのかも知れぬ。
 しかし、それを地で行くかのような「領土問題は存在しない」の一句・問答無用の姿勢で「国」と「国」との軋轢を乗り切れるものなのか。
 尖閣列島周辺での事案とそれを引き金にしたと見られる今回の問題は、この「鈍感さ」が根底にあってこそのものではなかったのか。

 それぞれが我利を第一とするのは当然として、その主張の理非の判断・了解には、ひざ付き合わせての話し合いこそが唯一の解決策。
 これを国是とする国に相応しい外交展開こそが「高められた力」なのではないのか。「大陸棚も領土」の見解を打ち立てて新たな「線引き」を模索する動きに、どのように対処してきたというのだろう。

 伝えられる対応策の第一は、「力」のようであり、彼我の「力」がぶつかり合う不測の事態発生を回避するためのシステム作りを協議するのが防衛・国防相であるとか、武器輸出三原則の見直しに言及するのがこれまた防衛大臣であるとか。  「外交」は後から付いて来いと肩で風切るが如きは、かつて犯した過ちを棚に上げての白昼夢、打たれる前に打つのが最良の防御策の言葉が、不気味に甦る。

 政治の場にある者達よ、今一度日本国憲法を読め。もしこの憲法を捨てよと言うならば、直ちに今いるその場を去れ。そしてあなたの意にそう新たな憲法を掲げて、主権者の判断を求めよ。
 「力」に頼らない国際関係の確立こそがあなたたちの取り組むことの第一と、賢明な我が同胞は応えると確信して疑わぬ一市民の叫びです。