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0331 歴史について 鈴木建三 2010/09/27-01:40:38
 歴史というものは相当複雑怪奇で、パラドックスに満ちた代物で、ごく短い昭和前半の動乱期に関しても、それは変わりはない。学校なんどで簡単に教えられるものではない。
 学校で教えることができるのは、せいぜい歴史に対する謙虚な好奇心を持たせることぐらいであり、それで十分であって、軽薄な左右の歴史観を教えこむのは邪道である。
 
 私自身、ある程度の反陸軍少年として過ごした昭和二十年までは、自分もそこにいたので相当の好奇心はあり、その頃の文献から明治維新の頃までの歴史書、文献は比較的読んでいる方なので、その関心は強い。
 歴史を学ぶというのは、自分の狭い経験を正当化するために、ごく僅かな歴史上の事実の正確な日時を棒暗記することではない。 私は歴史書を読むが、前後関係はまあ間違えないが、日時の暗記はしたことがない。
 
 ちょっと参考のために、昭和史のなかの大事件、昭和十一年のニ・二六事件を取り上げてみても、立憲君主を自称した天皇が、軍がなかなか鎮圧しないので憤激のあまり(まあ、軍の統帥権は別ということになってはいたが)自分で近衛師団を率いて鎮圧に向かうと言い出した時,これを必死に止めたのは本庄侍従武官長である。
 
 天皇にこんなことをされたら、軍はとても困ったはずである。これは軍が、自分が建前上は大反対のはずの天皇機関説を、実際上利用したといえるであろう。
 実はこれは、満州某重大事件(張作霖爆殺事件)以来の軍の伝統であり、これから日中戦争の間ずっと、天皇に国の実情を知らせないようにしてきたのである。最後に東京が焼け野原になったときには流石に隠し切れなくなった。
 
 以上の記述も、私の奇妙な歴史観かもしれないが、少なくも歴史がパラドックスに満ちていることは判ってもらえるだろう。
 
 ぼくたちが昭和初期の歴史から確かにいえることは、戦争とは人殺しを目的として、殺されることを当然含む大変厭なものだということである.
 私は死刑を含むあらゆる殺人に反対である、死刑反対の理由は別の機会に譲る。