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0323 八月 百山 2010/08/02-00:14:18
 人それぞれである。よって、年々歳々巡りくる新しい月を迎えるたびに思い起こすことも、喜怒哀楽その強弱などなどとも、一様であろうはずもない。
 だが、この国に生きる人々なれば、永久に一様であって欲しいと願う月がある。
 それはこの月・八月である。

 少子高齢化を言われ、容易ならざる時代の到来は待ったなしと識者は交々に語る。そして、この三月末で一億二千万を超える総人口のうち、65歳以上の割合は約22%を占めるという。

 65歳以上とは、先の大戦の終った年以前に生を受けた人たちである。まだ生まれたばかり、物心も付かぬの言はあろう。でも戦争・戦火の余燼を感じつつ長じたことは否定のしようもない。

 もとより、大日本帝国憲法のもと培われた価値観を抱き続けて今を生きる人たちもいよう。
 しかし、「戦争のない新しい時代」に大きな希望を抱きつつ青・壮年期を送った人々が、まだ、五人に一人はいるこの社会。   
 だが、これらの人々の脳裏からも もう、あの「大事」は、雲散霧消、忘却の彼方へと化してしまったと言うのだろうか。 
 「体験」を、いかに目や耳を通じて伝えようとも、それは所詮「疑似体験」に止まり、「実感」には程遠い。

 内にあっては、「国民主権を人類普遍の原理」とし、国際面においては、「平和の維持・対等な国際関係の希求」を謳う憲法の理念。
 今、それに照らし見るとき、それとの乖離を強めようとする兆しさえ、見え隠れする。

 「大事」なものは、何代を経ようとも決して滅し去ってはならないものであり、力を合わせて育み、より、強靭なものとして申し送るべきもの。
 そのためになすべきこと。あなたなら、それは何と答えるのでしょうか。