| 『1984』とジョージ・オーウェルなど
今回の表題コラムは前回コラム担当者鈴木健三氏がオーウェル論(『絶望の拒絶』)をすでに書かれており私の出る幕ではなかったのであるが20年前にお会いした海老坂武 氏の自伝『かくも激しき希望の歳月』(岩波書店)において鈴木健三氏の1966年の著書(ジョージ・オーウェル 論)にも言及されておりまた「2003年の」海老坂氏が イギリスに帰った(スペイン市民戦争から逃れて)後にオーウェルが何をしたか「私は(海老坂氏)知っている」と オーウェリアンの私にはいささかショックな内容について これまた言及されているので書くことにしました。
最初に海老坂氏は上記で「オーウェルがイギリスの内務省に共産主義者のリストをひそかに提出していたという事実を知らされている。つまり、警察のスパイをやっていたのだ。」(同書48ページ)と書くとき、オーウェルの熱心な読者の私は平静ではいられないのである。
それはまるで『1984』の主人公ウィンストン・スミス が拷問時にネズミに齧られそうになり思わず叫んだ「それはジューリアにやってくれ」という言葉を想起させ、オーウェルこそスミスそのものではないのかと思わせてしまうからだ。 また、この『1984』はSFとか寓話であるとかいう英米文学の解釈評価を超えてオーウェルの精神的な倒錯なり葛藤を小説という形式を借りて自己贖罪風に描写した内的な 真実ではないのかという疑問をも提起してしまうのである。 オーウェルがこの本を書いていた1948年のすぐあとの 50年代にはアメリカではマッカーシズムの嵐が吹き荒れ ハリウッドでは非米委員会に呼ばれた脚本家や映画監督俳優は共産主義者の名前をリストアップするように議会に召喚されており、そのリストに載った人々はハリウッドを追放されていた。最近の映画でも赤狩りを描いた作品は多い。 当時も戦争中も全体主義の脅威は現実化していたのである。 実際にスターリン主義の狂乱によって父親を殺されたポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダは最近「カチンの森」という映画を撮り父親のようにポーランド軍将校1万人以上の殺害がドイツがやったのかソ連がやったのか二転三転した後、ついにソ連:スターリン主義の仕業であるとことを突き止め映画化にこぎつけたのである。 全体主義というものが思想や国家を横断して無意味な殺戮や迫害を日常的に繰り広げていた「歴史」は未だ解明されてきたとは言えず「2003年の」海老坂氏に限らず歴史の真相に近づく人に解明されることを待っているのではないだろうか。
脱線したのでオーウェルに話を戻すと、海老坂氏の暴露が 真実であるかどうかに関係なくオーウェルの作家としての 活動は作品それ自体から判断されるべきであろう。 最初に読んだ「ロンドン・パリ放浪記」には当時私がどん底にいたときだったので身につまされた記憶がある。 その本の中でオーウェルは最底辺にいる労働者は女性と交際するとかカフェーに行くとかの人生の余暇から全く疎外されていると書いている。自身もそういうスラムに住んで ルポを書いていたのである。 私はオーウェルのエッセーやルポを沢山読んだ、そして『 1984』で近未来の物語をSFとして読んだのであるが、 オーウェルの評伝を読むうちに『1984』は1930年代40年代の現実でもあるのではないかという思いにも駆られた。 その後の小説では華氏451』(映画ではフランソワ・トリュフォー)と最近観た『カチンの森』(ワイダ監督)を 観て全体主義の恐怖は「一つの可能性」として我々の前に横たわっていると考えてもいるのである。
オーウェルという現在でも読まれ続けている作家への関心は尽きることはなくこれからも読者なのである。
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