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0319 菅総理の『現実主義』と私たちの選択 笹井明子 2010/07/05-23:08:36
菅直人総理は、これまでのリベラルなイメージとは裏腹に、総理の座につくと直ぐに、『日米同盟の深化』を宣言、鳩山前総理が総理の座から降りる直接原因となった「普天間基地の辺野古への移設」の閣議決定を継承することを明言した。

それに先立つ民主党代表選の際に、彼は自らの外交政策について、永井陽之助氏の著書『平和の代償』(中央公論編)がいう「現実主義」に、その原点があると語っていた。ということで、菅氏の「現実主義」の意味するところを知りたいと『平和の代償』を探したが絶版のため、その後継本ともいえる『現代と戦略』(文芸春秋・1985)を読んでみた。

この著書の中で、永井氏は「日本の防衛論争の配置図」に関して、「同盟・安全」か「自立・独立」かという「目標」の縦軸を引き、「福祉」か「軍事」かという「手段の選択」の横軸を引いた座標軸を作成、「同盟+福祉」グループAを「政治的リアリスト」、「同盟+軍事」グループ=Bを「軍事的リアリスト」、「自立+軍事」グループ=Cを「日本型ゴーリスト*」、「自立+福祉」グループ=Dを「非武装中立論」と定義した。

そして、自らはAグループ「政治的リアリスト(=現実主義)」の立場をとり、その中でも吉田茂=池田勇人=宮沢喜一の「保守本流」・経済合理主義者を、『今日の非核・軽武装・経済大国という、特異な国際的地位と繁栄の基礎を築いた功績者』と賞賛・支持している。

また、4グループがどのような連合を組むかについては、アメリカの期待するA+B(同盟重視)の連合がC+D(自立重視)と対決する図式よりは、A+D(政治的リアリストと非武装中立、平和主義、理想主義者グループ)の連合に期待を寄せている。

その根底には軍事重視への強い懐疑があるようで、対米協力が重要との認識はAもBも共通だが、協力の手段、共同戦略の点で、海峡封鎖、シーレーン防衛をふくむ軍事協力に傾く軍事的リアリストと違い、政治的リアリストは、産業基盤の活性化、西側経済の復興、士気と文化、自由精神の高揚、そして最後に軍事ハードウェアの拡充という政策手段の優先順位を重視。「力には力を」という対称的反応ではなく、迂回的、間接的なアプローチ(非対称的反応)によって、対処することを最善とする。

さらに、「防衛」の段階に入った場合の日米間の利害対立についても言及。すなわち、万一、抑止に失敗して現実に戦争状態にはいった場合、日米両国の利益は対立する。米国は、グローバル・パワーとして、西側全体の利益を優先させて考え、自国の安全確保を第一に考える。そのためならば、ぎりぎりの場合、日本本土の全面破壊をも辞さない通常戦争のリスクをおかしても、戦略的優位を確保しようとするだろう、と言っている。

そして、永井氏は、吉田ドクトリンが、核時代の日本の安全保障政策にふくまれる、さまざまなジレンマ、トレード・オフと、それを反映する各集団による交叉圧力の『妥協の産物』であることを肯定的に指摘し、日本国民のすぐれた能力のひとつが、「両義性への寛大さ」にもとづく政治的妥協能力にあるとしている。

その上で、1951年、アメリカのMSA(相互援助協定)の支援のもとで、日本が自前の軍需産業と武器輸出の方向へ乗り出そうという誘惑があったが、それを水際で堰き止めたのは、保守本流の経済合理主義、大蔵省および金融界の均衡予算優先主義と、それを背後で支えていた社会党はじめ野党諸勢力、そしてなによりも反軍・平和主義の国民感情であったと指摘。『これらすべては、敗戦という血と涙であがなった国民の自己体験と英知に深く根をおろしたものであった』と、国民の間に根強く流れる平和主義の感情に強い共感を示している。

この著書に書かれたこうした文脈を、現代の政治情勢とその中での菅総理のスタンスに照らしてみた場合、なるほど菅民主党政権の「同盟の深化」や、「強い経済・強い財政・強い社会保障」の主張は「政治的リアリズム」と矛盾しない。

しかし一方で、アメリカ軍の日本駐留は日本にとって「防衛力」たり得ないこと、ひとたびことが起きれば、アメリカは日本を犠牲にすることも厭わないこと、従って普天間基地の米海兵隊が沖縄に居座ることは、沖縄県民の直接的な犠牲の可能性を含むことも、理解しているはずである。

普天間移設問題では、政治、特に外交の世界は理念だけで動かせるものでないことを、私たちは痛いほど思いしらされた。結局のところ、対米関係において、アメリカの経済的理由やグローバル戦略の要請で日本に何らかの圧力があった場合に、日本政府がそれを跳ね返すための唯一の武器は、国内世論=『交叉圧力』の強さである。

その意味で、鳩山前総理の挫折は、鳩山氏自身が政権担当責任者であるよりも「思い=理想と正論」を語る理想主義者であったせいもあるが、もうひとつ、私たち国民の側の米海兵隊の国外退去を望む声が、アメリカの圧力を跳ね返すほど広く切実なものでなかったせいもあると、今は痛感している。

吉田、池田、宮沢の時代に、アメリカからの軍拡の要請を曲りなりにも拒否しえたのは、根強い反軍・平和の国民感情があったからだとすれば、現在のように国民自身がマスコミの誘導に乗っかって、その時々のトピックを評論家のように語り、すぐに忘れ去る風潮は、政治的リアリストを自認する菅総理の判断を誤らせる危険を孕む。

戦争体験の世代が減りつつある今、その体験を風化させないだけでなく、憲法重視、反戦・平和を広く共有し直す活動こそが、菅民主党政権を平和への指向性の高い政権にし、時としてアメリカの不当な要求を跳ね返す、真の意味で元気な日本にする道ではないだろうか。そういう観点を踏まえて、今回の参院選は一票を投じたいと思っている。

*ゴーリスト:ド・ゴール主義(ウィキペディア)
『主要な主張は国家の独自性であり(略)基本的な信条は、「フランスの存続のためにフランスは外国に依存すべきではなく、フランスはいかなる外国の圧力に対しても従属すべきではない」というもの。』