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0314 65年 百山 2010/05/31-00:46:25
 ヒトは、いつから「人」となったか。
 その道の専門家たちのたゆまぬ探求は、いまなお新たな痕跡を見出してそのページに書き加えられ、厚みを増して行く。

 だが、ある意味生物としての物体を離れ浮遊する「思索」、これこそが「人」の証しの唯一無二のものであろうが、それは、防御・保身・排他・攻撃の繰り返しとして綴られ今に伝え来たった。

 万を超えるとも数えられるその長い歴史において、65年前の第二次世界大戦の終結は、その後もこの地上の戦火がすべて消え去ったわけではないとはいえ、最大のエポックであったに違いはない。

 その65年間、私たちは何を積み上げて来たというのだろう。

 長い歴史の中でのたった65年ではある。
 だが「歴史」とは空を流れ行く雲の軌跡には非ず、一人ひとりの一生を束ねて後世に伝えるものでもある。
 65年という年数は、一つの人生に匹敵する長さである。その長さに照らし見たとき、この時代を生きた私たちは後世に残す何をなし得たというのだろうか。

 幕は開いたが場面転換のない舞台を漫然と眺め続けて今にある。

 国・この社会の在りようを決定づける政治・行政は進化したのか。
 簡単な話、国権の最高機関が二院制をとっているのは何を期待しているからなのか。また、なぜ議員の資格要件たる年齢が、院によって異なるのか。
 このような初歩的な事柄への思惟すらないままに「民主主義は選挙なり」の箴言に、ただ跪いて疑わぬ。

 昨日今日と、雲だけは流れた。
 歴史を作り行く中の一人という気概が、今を生きる大多数の人たちの胸に満ち充つ日は、絶えて永久に訪れることはないというのだろうか。

 失われた○○年。これほど空しい言葉はない。