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0308 ソドンヨを見ながら、我が世を見た 蔵龍隠士 2010/04/26-00:57:46
 最近、「ソドンヨ」というドラマを見ています。百済を舞台にした、ある意味、皇帝に成り上がろうとする(但し、ソンファ姫と二人で、或いは同志と共にの)時代劇です。
 その中の台詞に、気に懸かるものがあります。私には、…実際上の政治の要諦にも見えました。
 その1は、稲作作り・水田のための大池を作る(計画・設計・実施)場面です。いづれも主人公チャンが担当するのですが、実施段階では、身分を奴婢に落とされています。
 そして、「これが成功すれば、2人(チャンとウヨン姫)を宮廷に戻す」との、時の皇帝との約束の下、身分を落とされたウヨン姫(陛下の母違いの妹、且つチャンの従兄弟)と共に(その保護はあるものの)、事業の困難と敵方と奴婢たちの迫害に直面、難渋します。
 しかし、遂にその水田のための大池計画に、欠陥(自分たちの希望はあっても、奴婢の希望はないこと)、失敗する(大雨が降れば、決壊する等)だろうことに思いを致し、チャンは計画放棄を申し出ようとし、結局申し出たのです。
 そうなれば…永遠に、(鉱山掘り)奴婢の身分から浮かび上がれぬ恐れが強かったのに、です。そこで、ウヨン姫は、今は、兎も角、大池作りを成功させ、二人が宮廷に戻るのが先決、奴婢の犠牲が幾ら出ようが仕方ない、後のことは、後で対策すれば良いとチャンを口説きます。これが、その2です。
 日本の時代劇(TV・映画)では、こういう台詞は、お目にかかりません。個人的に、ですが。
 そう、思い浮かぶものと言えば、せいぜい日本史での「百姓は、生かさぬよう、殺さぬよう(税金を絞りとれ)」(記憶では、=家康)くらい。…今でも、やっているのか、とも思われる。
 何故なんだろうとも思うし、こういう台詞の入った時代劇であれば、現代生活にも活かされるだろうにと思う。歴史を暮らしに活かせるのにと。
 或いは、韓国には、こういうダイナミズムが息づいていて、日本には、それがなく、平板というか、上命下達というか、そういう嗜好が(支配層に、延いては被支配層にも)刷り込まれ・好まれるのか、とも。
 日本でも、やっと、政権交代はあったものの、伝統文化(言う通り教育?)に革新をもたらすことがあるのかどうか、未だ、確信はもてない。有体に言えば、ネガティブだ。例えば、…阿久根市に悪しき極端な例がある。
 ただ従来の、(ねじれ国会時代)『この前の参院選の結果が民意だ』とか、否『小泉時代の衆院選が民意だ』とか言い募り(民意を蔑ろにし)つつ、我が意を通すことのみに専念する「偽の」民主主義=政府・代議員のためのそれは、早晩終わらせたいものと思う。

 夏の参院選、或いは今般の沖縄県民大会が、その契機になりはしないか、否しなければならないのではないかと。
 今こそ、『われわれこそ、政治の主体(主権者)だ』と確信がもてるようにせねばならぬのではないかと思いを強くします。

 http://gyao.yahoo.co.jp/p/00787/v08394/
 ★ソドンヨ (薯童謠)
 >百済の王家の血筋を引きながら平民として育った王子チャンの、激動の生涯を描く歴史ロマン大作。(ご参考まで)