| かつて、家族同然に枕を並べて過ごしたペットたちの寝ざまを見つつ思ったのは、人並み?に犬・猫も、夢を見るのではないのかということであった。 微かなうなり声や、手足などの微動。それは単なる、昼の疲れの生体反応に過ぎないのかも知れぬ。 では、人はどうか。その所以はともかくとして、これはもう紛れもなく夢を見る動物である。 目覚めて後、その脈絡のなさやリアルさに戸惑っての少時は、頻度に差はあろうとも、大方の経験するところでありましょう。
さて、人は、覚醒しつつも「夢」を見る。その夢には、文字通りのものもあれば、現実のものとしうるものもある。 この国で起きた最近の後者は、世に言う「政権交代」であろうか。 「老人党宣言」なる書物を著し、世にそれをと訴えて6年近く、戦後のほとんどの期間を意の如くにしてきた政党の手から、政権は滑り落ちた。 それは正に、「与党(当時)の候補者を当選させないためには、多少気に入らない候補者であっても最も当選しそうな他の候補者に投票する」という芯のない漠とした呼びかけ、言えば「夢」が「現実」となった出来事でもあった。
だが、である。 「与党の候補者を当選させない」というのは、「政権交代」のための絶対的手段ではあるが、交代後の担い手の、「よりましな施政」を保証するなにものでもない。 まだ、前政権までの積弊に絡めとられて身動きもままならぬが実情ではあろうが、自由を得た後の何をなすかが見えてこない。
近視眼的な視点が前面に出ての<急落>ではあろう。 しかし、支持率の消長は措くとしても、組閣から半年、閣僚の何ほどが「政治主導」という革命的転換期の任に堪えうるのか。「永田町でよく見た顔」が、即、「人材」では安直に過ぎはしないか。 つい先だっての総理記者会見でも、党・内閣とも今の陣容で突き進むと言うが、政権交代の夢成って示された現実はこの程度かという「落胆」も、大いに<急落>に作用したのではなかろうか。
「与党の候補者を当選させない」という判断基準のもとに描く「夢」の次なる幕は、もう四ヶ月も経たずに開く。 さあ、あなたならどうする?。
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