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0305 表現の自由をめぐって 名無しの探偵 2010/03/23-09:28:43
憲法上の権利が現実に問題になるとき(日本においては)不幸なことかもしれないがその権利に危機が迫っているときであると、思えるのはなぜだろうか。

憲法9条と前文の平和的生存権の問題がそうであったし、
冤罪の温床となった被疑者、被告人の正当な理由なくして
逮捕されたり身柄を拘束されない権利(人身の自由)など
がずっと過度に裁判所や捜査権力から軽視されあるいは剥奪されてきた戦後の歴史を想定してもらえば十分であろう。

そして一般論としても、あるいは近代の権利獲得の成果の歴史の地平から最も基底的な権利であるとされる「表現の自由」の問題においてもしかりである。

表現の自由、具体的には言論・出版などの自由の歴史は概略的には市民革命の歴史を経過する中で最初に始まったと言えるがその後の長い歴史の中で紆余曲折を経て今日に至っているが19世紀から20世紀の激動の中で全く踏みにじられた苦い歴史でもある。ナチズムを典型とする全体主義の歴史を想起されたい。

日本の近代史において表現の自由は戦時中の言論統制によって窒息していたことも思い起こす必要がある。
戦後の新憲法の起草者であるGHQの戦後改革にしても日本の言論や表現に対する厳しい言論統制が存在した。今日では映画製作は検閲を受けるということはなくなったが、
戦後すぐは「ちゃんばら」とかが制作禁止になっている。

歴史を振り返ればきりがないが、表現の自由は失われそうになったときに憲法上の問題になってきたようで今回も政治権力によるあからさまな表現規制が出てきて初めてあわてているような印象が強い。

すなわち、東京都の条例改正で18歳未満と想定されるキャラクターの性的な表現を規制しようという動きである。
この条例改正案は政府の「児童ポルノ規制法案」と期を同じくするものと推定される。

こちらの法案の草案に影響力を持つ森山まゆみ元法務大臣は文芸春秋でこう述べる。

「世界に恥ずべき日本のポルノ文化ー倫理なくして何が表現の自由か」と。
そして森山氏は買売春と児童ポルノを強引に結びつけていたり、またアジアなどに輸出されているポルノの8割は日本製だとして「児童ポルノ規制法」(改正案の方)をすぐにでも国会で制定せよと叫んでいる。

確かに表現の自由の標準的と言える内容としては歴史的にも民主主義の根幹を支える政治的な主張だったり思想の表現だったりしたことは間違いない。
したがっていわゆる「猥褻表現」や経済的な表現(商業広告)はダブルスタンダード(二種の基準の法理)によってある程度の規制を甘受するべきものとされてきた。

しかし、猥褻表現などの規制はマスメディアの発達や国民の倫理観念の変化によって規制内容も変化してきたのである。そして憲法論においても表現の内容を規制する場合には(違憲審査における)厳格な審査に服すると解釈されている。
こうした社会の倫理観念は権力者の倫理観とは別なのであり、森山まゆみ氏が言う「倫理」観念とはほとんど重ならないであろう。(氏が10代のときは戦前なのである)
こうした法の立案者の倫理観で規制立法が出来上がるとすると明確に憲法上の権利と衝突するのである。つまり、上記の厳格な審査に服するということから表現の自由の規制根拠に個人や特定団体の主観的な倫理観を据えることが禁止されるのである。

表現の自由の規制する正当な理由としては名誉毀損行為とか明白なプライバシーの侵害行為とかが基準として妥当な
理由になりうる。
しかし、漠然と猥褻表現であるとか下品な表現であるとかの理由は正当な規制根拠になるとは解釈できないのである。問題なのは成人を対象にした猥褻文書や絵画ではなく
青少年向けや青少年を被写体にした文書の問題である。
東京都の条例などは青少年の健全な育成とかを錦の御旗に
して猥褻文書ではなくても性表現なら規制できるとしているが疑問である。
猥褻文書ではないのであれば性表現でも表現の自由として認められるのでありこうした青少年の保護という表向きの倫理観から表現の内容に規制を加えることは憲法違反となるのである。

なぜなら、たとえ思想の表現ではない文芸的な表現であっても権力者の倫理観念による規制は表現の自由を踏みにじるものであると解するからである。
この判断の根拠となる法思想として、法と倫理は明確に区別するべきであるというものがあり私もこの考え方を妥当だと思う。

倫理というものは個人個人微妙に食い違っているし、特に
政治権力の考える倫理観は法の立法目的に据えることは歴史的にも疑問が大きい。日本の戦前にあった天皇制国家の
倫理観(忠孝倫理など)を考えれば納得するだろう。そして、実際に政府は教育基本法を塗り替えて国家への愛(忠誠)を要求しだしたのである。

立法は憲法の基本的人権などの価値を具体的に尊重し、国家的な道義という倫理から立法するべきではない。
その意味では刑法の猥褻物頒布の罪も裁判官の倫理観や検察の倫理観を違法判断の根拠にするならば憲法違反の法令解釈となり違憲である。

まして、今回の児童ポルノ法案における「単純所持」や非実在青少年という18歳未満のキャラクターの性表現の規制条例は単なる政治権力の倫理観念を法令に盛り込んだ恣意的な規制であり、憲法31条にも違反する。つまり、表現の自由に反するばかりか憲法の保障する「適正手続き」をも逸脱する立法なのである。
                      以上。