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0294 『東京の下層社会』を読む 名無しの探偵 2010/01/20-08:51:13
公的派遣村の問題で触れた『東京の下層社会』紀田順一郎氏の本を15年ぶりに読み返して日本の19世紀後半から
20世紀前半における貧民の暮らしぶりを見てその内容に
圧倒された。

そして、その最下層にあえいでいた東京の人口だけでもかなり多く戦前日本の格差社会の桁違いの隔絶にも驚く。具体的な内容については後に触れるが最初に格差のレベルを
明示しておく。

同書59ぺーじで紀田氏は当時の底辺社会の調査研究家の草間八十男の文章を引用しているがこの箇所は興味深い。

「かくのごとく残飯物が出てこれを求めて生きていかねばならぬ哀れな貧民は数が多い。しからば残飯物を求めて命をつなぐには一日どの位の食費があれば足りるものか。
これを探ると大人一人で残飯が5銭で足りる。しかも副食物残菜を採れば香香と肴で2銭位で足りる。そうすると万物の霊長と思われる人間が一日にたったの7銭(注、今日の約140円。)で生きていける。其のとこら辺りで一夜の享楽に千金を惜しまない輩らと比べると、人間の生活にはこうも格段の相違があってこれでは人間愛が疑われてくる。」

こうした底辺社会の調査研究家の書物を元に紀田氏の著書は明治から終戦までの下層社会の赤裸々な構図を描き出していく。

この本の内容すべてに触れることもできないので各章の見出しのみを掲げておくと,

1、最暗黒の東京探訪記
2、人間生活最後の墜落
3、東京残飯地帯ルポ
4、流民の都市
5、娼婦脱出記
6、帝都魔窟物語
7、糸を紡ぐ「籠の鳥」たち
という構成である。

冒頭の1「最暗黒の東京探訪記では岩波文庫にもなっている松原岩五郎の潜入ルポを描くが、前回でも指摘したように現在のサラリーマン記者にはジャーナリズム精神が欠落していることが再確認できる。

著者の松原は徳富蘇峰の「国民新聞」の記者であるが、松原がその不幸な生い立ちに徳富蘇峰が目をつけ貧民窟のルポを書くことになったらしい。
松原は準備のため絶食したり野宿をしてルポに臨んだ。
ところが、別世界である貧民が定宿にしている「木賃宿」に寝泊りするようになると事態は急変する。

「木賃宿」に足を踏み入れた瞬間に百戦錬磨の松原でもその究極なる生活に恐れおののくことになる。やがて夜になると松原の寝床には蚊の大群だとか虱や蚤が急襲し眠っている場合ではなくなる。あろうことか南京虫に血をすわれたが血で大きくなった南京虫をつぶすことも気味悪くできなかった。
また、木賃宿で雑魚寝している住民のすさまじい臭気にも
閉口し到底松原記者に絶えられる住みかではないと思われる。幼い時から貧困生活を経験した松原記者でも格段の別世界であったらしい。
松原はここで(貧民街)残飯を貧民たちに売る仕事を見つけるがそのピンはねの汚さにやる気をくじかれる。

松原の仕事というのは残飯屋から貧民に売る残飯を仕入れて附近の住民に売りさばくことだった。残飯は貧民街近くの軍隊や工場などから出るものだったが、末端の貧民の口に届くまでには加工処理(これが曲者)されており米飯などはぐちゃぐちゃになっており「きんとん」のようになっているので松原記者は「はーい、きんとんだよ」といって売っていた。

こうした木賃宿や残飯を食べる貧民たちの生活ぶりから重要な情報が理解できた。
紀田氏の本では下層の人々(本来最下層というべきだが、
人口が多いので単に下層と表現していると思われる。)
は東京の数箇所にあったスラム街を言及の対象にしているが、特定の場所に存在したという。その場所とは一般の食事が買えない下層の人々は残飯が出る軍隊とか工場の近くに集まったという。木賃宿などではなく(これは明治初期)長屋の住居である。この長屋にしても松原氏が潜入した木賃宿とさして変わらない不衛生極まりない場所であった。窓もなかったりトイレもないような住居であったらしい。こうした不衛生のため結核やそれ以外の病気が住民を襲ったという。現在から見れば生き地獄である。食べ物も
工場や軍隊の残飯を7銭くらいで購入して飢えをしのいでいるにすぎない。

不衛生な住居と家畜のえさになるはずの残飯で生きる逃げ場のないスラム街であった。そしてその場所は軍隊の近くに集中していた。軍隊は残飯の処理に困っていたので残飯業者が引き取りに来るのを歓迎していた。

軍国主義の日本で残飯目当てにスラム街が形成されていた歴史は皮肉というべきだろうか。紀田氏の本で見逃せないのはそうした残飯の処理において日露戦争の時期には兵隊が荒れていて飯を食わずに酒ばかり飲んでいたという。そのため払い下げ業者が太ったという箇所である。

こうしたスラム街を為政者はどう見ていたのか。一部の篤志家たちや民生委員の組合が政府になんとかして救済処置を講じてくれと頼み込んだが救済策が打ち出されるのはようやく昭和8年ごろになってからであり、それまではなんの解決策も講じられなかった。

現在の石原都知事のような政治家のように当時の為政者は
道徳的な見地から貧民を救済するとかれらはそれに漬け込んで仕事をしない怠け者という見方が圧倒的だったという。問題をこうした道徳的な偏狭な見方で観てしまい、「社会構造の問題」として(注1、)正しく認識できないので救済策も引っ込められてきたのである。

さて、「5の娼婦脱出記」からの文章は深刻である。現在、フェミニズムという視角からの表現が巷にあふれているが、この本の戦前の日本の女性が置かれていた境遇に関心があれば過剰なフェミニズムの語りはふっとんでしまう。

なんと、戦前の日本には「大正末期から昭和初期にかけて
日本の公娼(探偵の注。ということは私娼の数はもっとということ)の数は5万人であるが、このほかにも全国で約11万人を超える酌婦が売春を行っていたとされる。」として次の文章では「このほかに芸子の大多数が売春婦そのものと見る意見(山室軍平)にも根拠があるが、一応それを省いても合計15万人。当時の女性の人口約3千万のうち、15歳から35歳までの若い女性約千百40万人でありから、彼女らの年齢においては控えめに見ても76人に
一人が売春に従っていたことになる。職種は異なるが、そのころ約百60万人と言われた紡績女工が,同じ世代の女性に占める率を見ると、役7人に一人ということになる。
いかに女性の職種が限定されていたか。」

こうした文章を見るとフェミニズムという言説の背後に沈んでいる日本の近代史を早急に救い出せなければ東京都の
知事選でなんども女性有権者からも選ばれた石原知事のような反福祉論者が相変わらず跳梁跋扈する社会が繰り返されることになる。
公的派遣村という一時的な避難所でごまかす歴史は紀田氏の上記の文章に描かれた「最暗黒の東京」となんら変わらないことが明確になってくるのである。

(注1)社会構造の問題としての貧民街

紀田氏の本でもこの問題に触れている章があり、第2章の「人間生活最後の墜落」の箇所である。この章では松原氏と同様に労働者に扮装してルポを書いた桜田文吾氏の著作を元に書かれているがやはり圧倒される描写である。桜田は松原と同じく不幸な幼少時代から立ち上がった作家であり、この著作では貧民たちの職業を調査している、あまりに数が多く書き込めないが多くいたのは廃品回収業者であったという。また、「乞食も立派な職業の一つ」という

この桜田の著書を読めば(当時からこれは文学全集からはずされてきたという)、為政者やエリートのいう貧民;怠け者、落伍者で救済しても無駄という思想に根拠のないことが分かる。現在の東京都も同じ思想と推測される。

                       以上。