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0290 共に生きる社会を 2010/01/02-21:44:39

2003年6月に、東京・中日・北海道の各新聞で、なだいなださんは、医療や福祉を切捨てる政治に対し、「老人をバカにするな」と怒りをぶつけました。その日から「なだいなだのサロン」の「ご意見拝聴掲示板」に投稿が殺到し、「老人党」が始まりました。そしてバーチャルに徹するというなださんの「バーチャル老人党」に対し、リアル活動もという笹井さんを中心に「護憲+」は、2004年に誕生したのでした。

それから6年、とうとう昨年、政権交代は成りました。民主党に変わったとはいえ、決して日本の未来が一夜にして明るくなったわけではありません。世界不況の中にあり、日本型雇用システムが壊れた結果、その上で成り立っていた社会福祉システムも壊れて、それが派遣村に象徴されているのではないでしょうか。

世界のあちこちで新自由主義経済が行き詰まり綻びた今、私たちは新たな社会の仕組みの構築を必要としています。1月のサロン・ド・朔の講演テーマ「ベーシック・インカム」も、人間の存在そのものを大切にする「生活保障」という概念に基づくものででしょう。

福祉や医療、子育てを前面に押し出した民主党の政策を支持するなら、私たちは好きなものを何でも買えて海外旅行にもどんどん行けて、電気は使い放題…という経済大国の生活よりも、低成長で幾分つましい生活、小さな福祉国家を選ぶことになるのだと思います。誰もが必要とする安心できる生活にかけるお金は、結局は国民自身が負担するものだからです。

もう20年以上前になりますが、世界の人たちの食事を調べたことがあります。回答者は中流家庭が大部分でしたが、北欧はじめ各国の家庭の食事はとてもシンプル。また、1日2食のネパールやアフリカ、中国東北部や北朝鮮などのあまりに質素な食事に、日本はなんと豊かで贅沢なのだろうとつくづく思ったことは忘れられません。

住居も電化され、交通も至便な石油使い放題の生活に慣れた私たちですが、限りある地球資源・地球環境の中での生活は、互いに幾らかの我慢と、差し出すことが必要だと思うのです。戦争も根底には資源の奪い合い、国家のエゴが引き起こすのですから。

私たちは、どういった暮らしを望み、何に幸いを感じて生きるのかという原点に返って、政治の方向を考え直す良い機会です。どんな社会を子どもたち、孫たちの世代に残そうとするのか。国家のあり方を私たちの暮らしから考えるために、今一度、日本国憲法を読み直しながら、競争ではなく共に生きる社会のあり方を考えたいと思います。