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0278 『歴史』とは何か。 名無しの探偵 2009/11/17-19:54:38
表題の「歴史とはなにか」というテーマの著書は多数読んできたが学者の数だけ言っていることが違っていた。そこでそれらの不協和音の中から最大公約数的な定義を求めて
明らかにしよう。

ここで依拠できるというか、信頼できる歴史家を予め掲げておくと、網野善彦、加藤周一、吉村昭の三人である。

一時師匠(実際に交流があった)として崇めていた色川大吉氏であるが、色川氏は最近「国民国家」という用語はおかしい、「私は拒否する」というナンセンスな発言をしていたので除外することにした。

まず、最初に「歴史とは何か」で問題にする項目としては次の点であろう。

歴史に含まれる対象の範囲であるが、歴史という言葉からして文献史料に限られるという見解がある。この立場の有力な学者としては岡田英弘氏である。

20年前位に岡田氏の著書を何冊か読んできたが氏は歴史とは国家の歴史であり、歴史のない国家は国家に値せずという偏見にとりつかれているようであり、唯一歴史家として信頼できる網野氏は歴史を文献史料に限定する説は間違っている、これでは文献以外の遺跡を排除することになり、到底支持できないとされる。

網野氏は岡田氏のような歴史家を文献史学として厳しく批判される。

確かに歴史という言葉は史という文字から文献のことを指していたが、文献以外の遺跡や文物に重要な歴史的事実を
読み取ることが出来る現在では(考古学の発展以後は)文献史学は廃れたのである。

網野先生の書物では例えば縄文時代は交易などがほとんどなかったというのが定説だったが、新潟にしかない黒曜石がその時代に北海道でも見つかっている。こうした事実から縄文時代にも活発な交易があったとされる。

そして網野氏は縄文時代を自足自給的な経済段階という思考が通説のようであるが、自給自足という経済社会は存在しないのではないか、縄文土器も専売で作る工房があり集団がいたのではないか、とされる。

こうした網野氏的な発想は貨幣の歴史を考えても首肯できる。日本では古代から貨幣が発見されているが、自給自足に近い経済段階で貨幣の必要性は少ないのであり、やはり
日本などでも早い段階で労働の分業化は進んでいたと言うべきであろう。

さて、次に問題となる点は西欧中心主義の問題と政治史が
これまでの歴史学の中心的なテーマだったということである。

まず、前者から考えてみる。

西欧中心主義がなぜ問題なのだろうか。
最初の疑問は西欧中心主義だと次の図式が用意されていた。つまり、遅れている地域が(地理だと発展途上国)進んでいる地域(先進国)に未来では追いつく。これと同様に狩猟社会から農業社会になり最後は工業社会になった、
という発展段階史という説明である。特にイギリスにおける産業革命の歴史は発展段階の歴史からは分かりやすい説明の証拠だったと考えられる。

こうした見解の有力な学説にはマルクス主義の歴史学があり、西欧中心主義の歴史学が廃れない根拠となっている。
しかし、例えばマルクス主義に近いウォラーステインの
歴史学では発展段階史学は格好の批判対象である。

彼はフランスのアナール派の重鎮ブローデルの影響を受けてこれまでの歴史学(発展段階史学)を根本から批判して
次のように述べる。

発展段階史学では遅れている地域が高度工業化社会である
先進国にやがて発展するというが、それはありえない。
遅れている地域こそ先進国の植民地として位置づけられていたのであり、先進国が先進した理由は植民地にされた地域があり、そこから収奪できたので先進国になったのである。この先進国が中心となり収奪された地域(中心と周辺)が周辺として位置づけられたので遅れた地域と先進国の関係が成立したのである。

こうして発展段階の歴史観は単線的な歴史を描いているが
これは誤りである。資本主義国の発展を支えた周辺地域が
なくては資本主義の歴史は完成しない。
狩猟社会から農業社会やがて工業社会になったという産業革命の単線史観はこうして批判されている。

次に、政治史が歴史学の中心課題:テーマだったという問題である。
この問題に批判の矢を放ったのは現在では先ほどのフェルナン・ブローデルを中心とするアナール派(フランス語で
年報)である。
この学派は(戦時中に逝去したマルク・ブロックが開祖とされている)これまでの政治史中心の歴史学を乗り越えて
社会の歴史こそ歴史学のテーマであり、社会に生きる人々の生活を見つめなおすことが中心テーマになるべきとする。
(紙面が迫ってきたので以上の概観的な説明で終わりにする)
以上のように戦後の歴史学のエポックがあり、歴史とは何かという問いも変容してきたが、網野史観の中心的な命題を俎上に乗せて筆を置く。

網野史観で重要な視座の転換の一つはこれまでの日本を単なる「島国というアイランドフォーム」から「列島の歴史」を紡ぎ出したということである(全集が出版されている)。

結論的な言い方をすれば、日本が中世から近世に転換する際に鎖国政策をとるようになったが、これで貿易が出来なくなり経済的に行き詰まるのではないかという疑問があったが、列島という視点に立つとそうではなかったという。

日本列島には外国から輸入しなくても十分やっていける各地の産物が豊富にあったのであり、それを可能にしたのが
「海から見た日本」であり、海上輸送が盛んであったので
それが可能だったとされる。

(加藤周一、吉村昭両氏の見解に触れることができなかたが、他日を期す。)
                      以上