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0266 さて、これから 千葉の菊 2009/09/05-00:02:19
8月30日の夜は日本中が驚いたことと思います。
TVをつけたとたん民主党候補の当確の速報が次々とあらわれたのですから。
確かに歴史的な出来事ではありましたが、「小選挙区制度」の怖さと「この博打のような制度で本当の『民意』は反映されるのだろうか」という疑問も感じました。
同時に民主党に対する期待の大きさから、期待に応えられなかったときの反動の大きさも心配になりました。
この選挙の意義やこれからの政権のあり方等については、このサイトでも様々な人たちからそれぞれの意見が述べられると思いますので、話題を少しずらします。
実は、衆議院議員の選挙結果が続々と告げられる中、私はもうひとつの選挙結果がなかなか報道されないことに、少々いらいらしていました。
私が待っていたのは、実は「最高裁判所裁判官国民審査」の結果でした。
投票の翌日の午後になって全員が信任されたことを知り、翌日の新聞でやっと各裁判官の不信任の得票数が分かりました。
無記入が「信任」という投票で、審査される裁判からの働きかけは投票の一週間ほど前に配られる「公報」のみ、審査の判断材料も多くの有権者にとって「公報」のみという「審査」ですので、不信任票が多くても全体の7%あまりというのもむべなるかなという感じです。
「本当はこんな『国民審査』などやりたくないのだけれど、憲法に書かれてるから、できるだけ影響のでないように、国民に積極的に関わらせないようにやるか」という、司法側の意図がミエミエですね。
無記入が「不信任」という投票に変えてしまうと「国民審査」の度に該当裁判官は全員退任させられることになるでしょうが、裁判官たちは国民の方を向いて必死に自分たちの「裁判官」としての仕事をアピールしてくれるかもしれません。
「審査」も在任中1回だけという今のやり方ではなく、たとえば2年に1回とか、何回も審査されることで、より国民を意識した「裁判官」になる可能性があります。
何よりも、私たち有権者にとってわかりやすい、そして豊富な裁判官の情報を、身近に見ることができるシステムが大切だと思います。
「裁判員制度」なるものが作られ、否応なしにすべての国民が司法の場に縛られてしまう可能性のある現在、私たちも司法のあり方について、きちんと自分たちの考え方を反映できる場として「最高裁裁判官国民審査」を変えていく必要があるのではないでしょうか。
せっかく政権も変わったことですから、是非このことも政治の場で取り上げてもらいたいと思います。