| 著作権の解説書などをいくつか読みましたが、今まで納得のいく著作に出会うことはありませんでした。大概が著作権についての法令解説になっておりそれ以上でもそれ以下でもありませんでした。
そんな折に「著作権とは何か」という本に出会ったのです。福井建策という弁護士の方が書いた本です。(ちくま新書)
福井弁護士はこの本の冒頭の8行で「いいたいことは書いてしまいました」と言い切っています。その8行の文章とは次のものです。
「『著作権』という言葉が注目を集めています。著作権とは、文学・映画・音楽・美術といった作品の創作者が持つ、その作品がどう利用されているかを決定できる権利のことです。 著作権の最大の存在理由は、芸術文化活動が活発に行われるための土壌を作ることだと筆者は考えています。なぜなら、豊かな芸術文化は私たちの社会に必要なものだからです。 ですから、著作権をその目的に沿うように使ったり、設計することは、私たちに課せられた課題です。」
こう述べた後に福井弁護士は「以下では、具体例を挙げてこの権利のことをもう少し詳しく述べていきましょう」としてこの後の200ページあまりは詳細な具体例の検討にあてています。なかでも具体例としてマスコミなどで話題になった判例の検討にかなりのページ数を割いています。
次に、この本は「著作物」とは何か、の検討から始まります。私の推測では「著作物とは何か」ということが一番重要な問題点であるように思いました。
著作権法によると、著作物の定義は次のようになっています。 『思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの』(第2条第1項第1号)
つまり「創作表現物」と簡単に言い換えることができます。ここから創作物であるという要件と表現されたものという要件が出てきます。
創作物という要件から小説などのフィクションは当然に含まれますが、事実の文章は除かれます。例えば新聞記事の 記載した事実報道などです。
次に、「表現されたもの」ということからアイディアは除かれることになります。つまり、未だアイディアに止まり表現に至っていない場合には創作物として保護されません。この点が重要な原則です。
こうしてこの本では最初に重要な命題を掲げてから具体例に導いていきます。
福井弁護士の先に述べた8行が私には一番重要な命題であると思われましたのでその問題に戻ります。
最近になってアメリカの著作権が改正されて映画の著作権の期間が50年から70年に延長されました。この改正で例えばディズニーの初期の作品などが観られないことになったとされています。
また、福井弁護士が具体例の一つに揚げた「どこまでも行こう」事件などの判例のように、一審判決を覆して服部克久氏を敗訴させた事件などを考えると、法制定者や裁判官が著作権の目的を真に理解しているかが疑問になってきます。
なぜなら、映画の著作権期間をいたずらに70年に延長したところで確かにディズニー社の利益だけは守ることになりますが、一般人の映画鑑賞は不当に制限されます。これでバランスのとれた芸術文化の保護になるでしょうか。疑問です。
つぎに、「どこまでも行こう」(小林あせい)が「記念樹」(服部克久)を訴えた裁判ですが(なぜか、私は小林サイドの弁護士と知り合いでしたが)、高裁判決は「あまりにも似すぎている」として服部敗訴の判断でした。
しかし、わたしは偶然の一致としか思えず全然別の曲だと当時は思いました。小林サイドの弁護士から昼食をご馳走になったことはありますがそれとこれとは別問題です。
こうした偶然の類似性を盗作と判断する裁判所に著作権保護の目的が本当に理解できているのでしょうか、すこぶる疑問です。
さて、この福井氏の本では「パロディの問題」が大きく扱われていました。有名な事件としてパロディモンタージュ写真事件というものがあります。
裁判所はパロディは「引用」というなら許されるとしています。この裁判では引用の条件を満たしていないとして被告のマッド天野は敗訴になりました。しかし、福井弁護士も言うように引用なら許されるという判断は、パロディという文化なり表現を最初から拒否する不寛容な判断と思えます。
アメリカの法令の原則のようにパロディ文化なり表現形態を活かすのならば「フェアーユース」(公正な使用)という原則に従うべきでしょう。
やや散漫な解説になってしまいましたが以上です。
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