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0254 政治の使命 笹井明子 2009/06/18-16:10:30
このところ、何時までも続く権力争奪戦のような政界の騒動にウンザリし、「政治って何だろう」という基本的な疑問が湧いています。そこで原点に立ち返って、「自分達の暮らしの中で大切なこと」に照らし合わせて、「政治(国政)」について考えてみることにしました。

憲法には、【個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉】(13条)の条項があり、そこには「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と書かれています。私たちには、生まれてから死ぬまで、生命、自由、幸福追求の権利があり、政治はその権利を最大限尊重しなければならない、と言っているのです。

しかし現実はどうでしょう。生まれてきた命を祝福され、幸福になるようにと大切に育てられることは、どの子供にも保障されているでしょうか。本来子供は、親に絶対的に護られている安心感があって初めて、すくすくと成長していけるはずなのに、親の虐待や貧困で、幸福とは程遠い生活を強いられ、時には命さえ失う子供たちの悲しいニュースが後を絶ちません。

子供たちの学びの場は、幸福追求の基礎をなす「夢」や「希望」との出会いや、「自立する力」を保障しているでしょうか。そのために必要な、自由闊達な風土や、相互信頼の人間関係が提供されているでしょうか。そういう環境を提供するはずの教員自身が、今は管理に縛られ、あるいは競争原理の中で教育しなければならない苦悩を抱えているといいます。

社会に出てからはどうでしょう。「幸福」の基盤である自分の能力を生かして生活の糧を得る生活どころか、卒業しても就職先が見つからないとか、派遣労働者の切り捨てなどで、職も住居も失う人々が今や後を絶ちません。

結婚して家庭を持つことも幸福の大きな要件と言えるかもしれませんが、今は貧困問題とも絡んで結婚も容易ではなくなっています。子育てが喜びにならず、結果子供が幸福になれないという悪循環も、社会に何らかの歪みがあることの証左だといえるでしょう。

高齢者になって、身体が思うように動かなくなること、働く道も閉ざされること、時には知力が衰えること、こうしたことは、自然の摂理として仕方ないことです。しかし、だからといって幸福でいられないということではないはずです。他者の援助を受け入れ、最後まで周囲と調和して穏やかに生きることができれば、それは幸福な人生の総仕上げと言えるでしょう。しかし現実には、介護する身内の疲弊や貧困で起きる悲劇のニュースなどが毎日のように聞こえてきます。

こうして憲法13条に寄り添って考えてみると、国民(社会の構成員)が、喜びの中で産まれ、生き生きと能力を発揮し、平穏の中で最後を迎えるという「幸福追求」を実現するために、その社会の構成員が持つ力を出し合い享受しあえるように、適切な調整をするというのが、政治に求められる最大の使命であることが見えてきます。

それなのに、政治が自己保身や権力欲や一握りの人々の利益保障に汲々となって、国民の「幸福追求」の最大の尊重どころか、明らかな阻害要因になってしまっている今の現実をどう考えたら良いのでしょう。「政治は初心に帰れ!」怒りを込めて、こう思う今日この頃です。