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0253 人権保障と法律による申請主義(義務化)への倒錯 蔵龍隠士 2009/06/08-02:23:21
 敗戦し、新国家「日本」を独立させ、日本国憲法(個人の尊重、国民主権、平和主義をとる)を国家の最高法規とし、「法の支配」を確定したが、その新しい皮袋に、新しい酒を盛ることができなかった。
 新しい酒を盛ることができれば、日本国憲法にふさわしい国家機関とその後の法体系が成立したろうが、遺憾ながら、政府による戦争の惨禍のため、戦後の焼け跡には、その民主主義にふさわしい人材は十分になく、戦前の身分制的な魂と思考と組織的経歴を持った政治家と行政官と司法官しかいなかった。…戦後のどさくさ、朝鮮戦争を控え、占領軍の意にも適ったようである。
 国民・個人の処遇、管理(支配)にしても、戦前の骨格(戸籍・住民票・世帯)を維持した。これらを元に、具体的な市民サービス・権利が、具現化されている。腹の足しになるような人権は、このレベルで確保されないと、憲法上の保障(人権)など、あって無きがごとき、取り扱いになっているように思う。戸籍や住民票がない故に、泣く子もある。とんでもない仕組みであり、人権保障?である。
 逆に…選挙目当てのホームレスへの消除(申請主義を待たないで)、給付金目当てのそれはあったかもしれない。

 冤罪事件の被害者の場合も、どうやら例に漏れないらしい。免田栄さんの年金未受給が表面化した。足利事件の菅谷さんも同様かもしれない。このままでは。…「年金保険料を納めていないから受給権がない」とのお話。
 しかし、冤罪事件の場合、それはおかしい、おかし過ぎると思う。国家による拉致監禁と不自由(資金を稼ぐ手立ても封じ、申請の機会も奪い)を強いながら、引き起こされた不利益の一掃、原状回復の務めも果たそうとしないでは、罪を作った側の、恥知らずな(さもしい)議論ではなかろうか。
 それにしても、冤罪事件、多すぎる。例えば高知白バイ事件など、冤罪の訴えは、どれほどあったことなのかと思う。

 更に、別の事件もある。それは、厚生労働省が、弁護士による生活保護の代理申請に「待った」をかけたもの。日弁連が反発するのも道理。
 日本国憲法を素直の読めば、人権保障の義務を負う者は、国家機関・公務員の側であり、国民や民間である弁護士ではない。…国民のために目的的に弁護士同様、奉仕をしてもよいように読める。
 ところが、ここに、旧来からの、上命下達の組織と組織プレーが、介在(市民のための目的的奉仕を妨害となる)する。通達行政といわれるもので、一例が「生活保護手帳 別冊問答集2009」という代物。
 回答例として「要保護状態にあっても申請をするか、しないかの判断を行うのはあくまで本人であり、代理人が判断すべきではない」などと記し、「代理人による申請はなじまない」と結論づけた。

 如何に、『小泉改革』以来、政府が社会保障予算を惜しみたいか見て取れるが、「要保護状態にある者」と知りながら、彼らにのみ、殊更に(申請するかしないかの)高い矜持を求めようとは、公務員の日本国憲法尊重義務に違背するといわざるを得ない。見てみぬふりをさせ、或いはしていいのか。
 しかも、申請があったからといって、認めようとしてこなかったのが、行政の実態。ふざけた言い草だ。
 政権交代した暁には、公務員(そのあるべき姿)制度を抜本見直ししてほしい。  <愚考>

☆参照
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009060301000427.html
 免田さん、年金受給申し立てへ 再審無罪で、元死刑囚で初  ※申請主義の弊害
 http://www.asahi.com/national/update/0601/OSK200905310092.html
 生活保護の代理申請、厚労省「待った」 日弁連が反発  ※ふざけた話・人権への抵抗勢力!?