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0242 確定申告を終えて 百山 2009/03/23-15:59:38
 巷は、希望を抱いて学窓を飛び立つはずだった若者や、既に仕事を失った人々の話題に事欠かず、これを受けての「かじ取り役」たちは、100年に一度などと見てきたような修辞を振りかざして、内需拡大だの財政出動だのと賑やかなことこの上ない。
 「財政規律論者」と目されていたその衝にある人も、「(非常時だから財政規律維持の)公演は一時中止」と公言して憚らぬ。
 おそらくは、ばら色の明日を招きこんで下さるに違いなく、まさに「大船に乗る」の心地ではいる。

 その源となる「納税の義務」を果たすべく差し出す「確定申告」の締め切りは先週の今日、毎年のことといささか惰性に流されての思いを抱きつつも、ささやかな「還付金額」を書き込んでやれやれの一仕事を終えた。
 何の芸もない年金所得のみが唯一の命の綱。斜めからだろうが下からだろうが、どう眺めても変わりようもないつましさの中、これまで、気にも留めずに斜め読んでいた あることに気づく。
 <おっと待てよ>である。

 「課税所得」とは収入から、その額に応じて算出される一定額を差し引いたものであり (課税方式には、「総合」「申告分離」「源泉分離」の3通りあるが 公的年金等の所得については「総合」が適用される)、1月1日現在65歳以上の人の場合、120万円を越える収入があってはじめて「課税所得」が生ずる。
 <おっと待てよ>の正体はこれである。

 一つは、老後保障の根幹は、いうまでもなく「国民年金(老齢基礎年金)」である。その年金保険料を満期払い込んだとして、65歳から受け取る年金額はいくらか。一金792,100円也である。   
 これがもし、「消えた、消された記録」にぶち当たったりしたら、これを下回ること必定である。これが「百年安心プラン」なる老後保障の中身なのだ。
 政治家なる肩書きの人が、こともなげに言う「税金を払っていない人」とは、この120万円以下層を念頭に置いてのこと。それに遥かに及ばぬ金額である。
 ハハ〜ン、「公民面」をするためには「納税の義務」も果たさねばなるまい。そのためには等しく「消費税」でも と思ったかと、皮肉の一つも言いたくなるような「老後保障水準」なのだ。

 二つ目は、最後の三つ目と共に「驚き」と言うに近いことだが、65歳未満の人の場合、70万円を超える額以上とされていることである。
 65歳未満で公的年金を収入源とする方は、それ相応の事情を有してのことではあろうが、決して十分とは言えない満額老齢基礎年金額にも及ばぬ金額を課税最低限とするその神経というか感覚に驚嘆する。

 上の一、二は、生存権規定を盛り込んだ「日本国憲法」なるものを最高法規と戴くこの社会の社会保障ラインの、似非ぶり・厚顔無恥ぶりを示す、言い逃れのしようもない実状である。
 その憲法の尊重・擁護義務を負う行政の職に在る者誰一人、年収70万円以下の者は居るまい。

 三つ目、これらとの対比での驚きは、課税最高ランクに設定されている収入金額である。770万円以上とある。
 定めがある以上、該当者が居るということであろうが、巷間、汗して働いて年収200万円未満がこれこれと数えたてられているこの社会で、汗することなくともそれの3倍を超える収入が保障されるという不条理。
 現役時代どれほどの貢献をし、それが故への当然の結果としようとも、水準をはるかに超えると思われる処遇は、その栄光をも帳消しにするような「貪り」に見えてくる。
 なぜならば、年金制度は、給付額が膨らめば膨らむほど、他者の負担も増大するという仕組みで成り立っているからである。
 給付上限の引き下げイコール掛け金の引き下げ、その分の課税所得の増加・納税額の増加イコール所得再分配効果の発揚と、好ましい形で連関していく。

 「景気対策」と言えば、何びとも異を唱えがたく、「地方高速道の土・日・祭日は、どこまで行っても1000円、僕だって嬉しい」との総理の言を裏書するように、ドライブの家族連れの笑顔が画面からこぼれる。その陰には5000億円の減収補填、またその原因・元凶に触れることもなく自然現象の如く不景気を言い、対策を唱え、それに見合う将来の増税も、既定化されたに等しい。
 
 表面と裏面、建前と本音。これらが一致する、気の許せる社会へと歩を進める出発点を探す旅は、まだまだ続くのでしょうか。