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0239 Re: 護憲コラム くぬぎ林 2009/03/02-18:45:50
このところ必要があってスーパーに買い物に行く。お米売り場に行くと、銀シャリのお米がいっぱいあって、それも新潟のこしひかりと富山産のこしひかりでずいぶん値段がちがうのにびっくりする。
私のような世代のものにとって、どっちも毎日食べられるなどとは思いもしなかった。真っ白いお米の銀シャリなのに、値段にこれほどの差別がつけられるなんて不思議な気がする。またお魚売り場でも、月に一度も食べられなかったお刺身が山とならんでいるのにもなにか別世界に来たような気がする。
考えて見ると、これは私の根にある原体験の世界とは別なのだと実感する。
私は戦記物はまず読まない。そこには一人一人の心が描かれていない気がするので、私には詰まらないからである。しかしこの頃、戦中から戦後にかけての生活が舞台の大原富枝さんや田宮虎彦さんの小説は何度でも読んでやたら涙している。これは時期的に私の若い時と重なって、それだけ主人公たちの生活や心の動きが私に切実感があるからだろう。
しかしそれだけでなく、この頃の人の生活や心の動きが、その後の小説や実際の人の暮らしや心の動きより、何かもっと重量感があるような気がする。
その後日本が世界第二の経済大国になったりして、人々はお金儲けに熱心になったけれど、なんだか人間が軽くなったような気がする。それが最近の勝ち組,負け組の社会になって、それもますますひどくなって、価値観がお金儲け一筋に単純化してしまったような感じである。
これは私の錯覚かもしれないが、今度のアメリカ発の世界不況で、今までのような、私が最初に言ったような豊かさは日本ではこれからもそのまま続かないかもしれない。
大体、絹を輸出して」資本主義国の仲間入りし、戦後は自動車の輸出で経済大国になったけれど、世界中をこれ以上自動車だらけにするわけにもいかないだろうし、(そんなことをしたら地球が壊れるだろう)そのほかにとてもいい輸出産業など当分考えられないだろうから、この辺で、西欧からアメリカに移った資本主義の豊かさだけを日本が追い求めるのは無理かもしれない。
そうだとすれば、もう少し、あるいは相当貧しくても、「貧しくとも等しからざるを憂れうる社会」を目指すことを本気で考えたほうがいいのではないだろうか。そのほうが人間らしい気もする。
日本は太平洋に浮かぶ小島でいいと思う。中国の向かい側にあるものだから、今はアメリカの戦略基地になってしまっているのは困ったことだ。