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0234 Re: 護憲コラム せっちゃん 2009/01/19-07:52:44
気になる「派遣切り」報道に潜む大企業の社会的雇用責任に対する免罪性と貧困差別
かねてより指摘されていた、「アメリカによるドルの国際通貨基軸と云う利点を最大限活用したバブルの崩壊を次のバブル創出で問題の先送りをしながら経過した澱」が、昨年、2008年春のサブプライム問題が顕在化という住宅バブルの破裂をもたらされました。
そして、その住宅バブルの破綻から秋には、「リーマンブラザーズの破綻」、更には、「アメリカの三大自動車メーカーの破綻の危機」という形で金融破綻に伴う急速な信用収縮が実体経済を襲ってきました。そうした状況を受けて、新自由主義経済、市場原理主義のグローバル化の中で高収益を謳歌してきた日本の自動車産業を初めとする大企は、内部留保による高配当の余地を残したその手で、生産調整に伴う大幅なリストラ策を「派遣切り」という派遣業界のクッションを通して敢行しています。
そして、「派遣切り」という言葉=報道言語は、大企業の下請け構造(産業の二重構造)を利用した巧妙な労働者の首切り・解雇の手法、すなわち、1960年代の高度成長期に、大阪の釜ヶ埼、東京の山谷のドヤ、野宿者の排出という社会現象とその貧困への社会的差別を創り出していった現代版に対して、大企業の雇用責任という社会的責任を派遣業に転化させる役割を担っているように思われてなりません。
 また、「派遣村」報道の中に垣間見る「派遣切りによる路上の“いのち”」と「路上生活を余儀なくされたホームレスの“いのち”」を区別し、差別する潜在意識を感じざるを得ないのです。
 派遣村報道の中で、「法改正で5年前から、派遣労働が製造業に解禁され、不況の"調整弁"の犠牲となって助けを求めてくる人たちは、ホームレスとは異なり、働く意欲も能力もあるのに突然、路上に放り出された。なのに、自治体にはホームレス支援の枠組みしかなく、その中で住居の確保に追われる市職員は「矛盾を感じる」と言う。」等の記事を目にするとき、ホームレスをあたかも「働く意欲も能力もなく」と決めつけることは、ホームレス(ハウスレス)のかなりの人々が、法改正後のこの5年間に「派遣切りにあってきた人々に他ならず、今回の現象は量的な拡大が質変して、社会問題化した」とも云え、また、「国の調査でも、ホームレス(ハウスレス)人々の80%は就職自立の道を求めているが、路上故に、求職の道が塞がれているとの現実」に全く無頓着な報道姿勢と云え、報道・マスコミが本来負っている「事の本質を明らかにする社会的<使命>の欠如への危惧」と「<ホームレス襲撃>に見られる現象の背景にある人権無視、差別意識の助長と貧困差別を創り出していく言辞となっている」ことに、深い悲しみと人権への深い配慮と真実の追求にマスコミ界が努力されてることを願わずにおれません。