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0228 金儲けのための社会から暮らしのための社会に 千葉の菊 2008/12/08-00:05:00
昨年来続いている世界的な経済の混乱は、今までの経済体制(金儲けのための経済、企業のための経済)がすでに破綻していることを示している証拠ではないかと私は考えています。
今までの「経済」の考え方は「とにかくお金がたくさん動けばよい」というもので、「お金」が中心で、「お金」なしに成り立たないものでした。
ですから、資源もエネルギーも使い放題で、目の前の「お金」のために後のことも考えず消費してきました。
また、「お金」を増やせればよいのですから、何も生産しなくても、ただものを売ったり買ったり、借りたり貸したりという操作だけしかしない輩も大勢現れます。
その典型が、今回の原油の高騰とその後の値崩れです。
私たちの行動規範には「他人に迷惑をかけてはいけない」というものがあり、それは万国共通だと思うのですが、「金儲け」に関する限りそんなものは関係ないようです。
世界中の人々が食料の高騰に生活を脅かされても、自分たちさえ儲かればいいという行為が、何故か「当たり前」のことなのです。
「企業」が儲かれば、そこで雇う労働者が増え、彼らが企業のおこぼれに与ることによってより多くの人々の生活が成り立つ、言い換えれば、「企業」の存在なしに人々の生活は成り立たないというのが今の経済のあり方のようです。
ですから業績が悪くなると企業の存続のため、労働者の生活などかえりみず、多くの労働者を解雇してしまうことを「リストラ」と称して「経営努力」と認めてさえいます。(労働者なしに企業など存続できないという当たり前の事実さえ忘れて)
こういった現在の社会のあり方に、私は疑問を感じざるを得ません。
本来「経済」というのは「暮らしに必要なものを得るための社会活動」だと考えています。
それも自分たちだけが得るのではなく、くまなく必要としている人たちすべてが得られるシステムを構築するのが「人智」というものではないでしょうか。
とりあえず、この日本という国の中だけでも、誰もが不安のない暮らしをできる「経済」を考えてそれを後押しするのが「政治」や「行政」の仕事であると思います。
それは、富める人々から困っている人々への所得の再配分でもよいですし、「お金」がなくても暮らしていける「経済」でもかまいません。
そうした社会へ少しでも向かうことのできる活動は、私たちにもできるはずです。
働くものたちが本当に手を取り合えば、「リストラ」をする企業からすべての労働者を引き上げてしまうことも可能です。
反社会的な活動をする企業の製品をボイコットすることも可能です。
「世の中の仕組みがこうなっているんだから仕方ない」とあきらめる前に、「自分たちだけがよければよい」と思う人たちに対し、それによって迷惑を被ったすべての人々が手を結び、そういった社会を打ち壊すことで、この世界から「戦争」というものも永遠に追放できるのです。
「世界全体が幸せにならない限り、自分の本当の幸せはあり得ない」という当たり前の考えを、ひとりでも多くの人々に理解してもらい、手をつないでいきたいと思います。