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0225 文民統制  (愚考) 蔵龍隠士 2008/11/17-23:44:56
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/bunnminn.htm
2008/11/14 ☆文民統制(civilian control)☆ 日本国憲法制定まで日本には文民統制の政治思想はなかった [10] 日本国憲法
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008111301000958.html
2008/11/13 クーデター危ぶむ声も 前空幕長問題で自民幹部  ※そのための文民統制でしょ!直接の任命責任者は、安倍・久間・守屋氏 [14] 社会・政治・ほか

 朝日(11/13朝刊)の「私の視点」◆空幕長論文問題に、北川伸一東京大学教授(日本政治外交史)の『トップの条件欠如を露呈』の一文があった。
これから、触れてみたい。
 本来の文民統制(シビリアンコントロール)については、上記☆文民統制(civilian control)☆をご参照いただきます。今日のところは、ほとんどスルー。
 北岡教授は、冒頭、論文の必要条件は、確かな事実と堅固な論理であるとし、(田母神氏の)事実の把握においては著しい偏りがあると指摘、歴史で重要なのはバランス感覚と総合的な判断であり、最も信頼できる事実を選び取る作業が重要なのだと、説く。
 都合の良い説をつまみ食いしたのでは、歴史を理解したことにはならない、とも指摘している。
 更に、論理において矛盾や飛躍が多いとも指摘。
 田母神氏は、もし日本が侵略国家であったというなら、当時の列強はみな侵略国家であったと述べている。したがって、列強も日本も侵略したといっているのかと思うと、別のところでは、日本は侵略していないという。矛盾していないだろうか、と。
 (利益を齎せば侵略ではない?)…現に、田母神氏は、アメリカが戦後日本に繁栄をもたらしたことを評価していないではないか、とも指摘。

 (私的に)興味深いのは、北岡教授が日米開戦直前のハル・ノートを取り上げ検討している点(たたき台に、したたかに外交を進めることは可能だったとしている)。当時の風潮、驕りの中ではどうだったか?とは思う。しかし、負けないためには、開戦は避けるべきだったことは確か。
 田母神氏の国際政治に対する見方は妙に自虐的、感情的である。…自衛隊のリーダーたるものが、我々はだまされたというのは、まことに恥ずかしい。
 田母神氏は現在の日本にははなはだ不満らしい。…その責任は誰よりも、負ける戦争を始めた当時の指導者にあるのではないか。…今の日本を憤るなら、なぜ戦争をしてしまった指導者をかばうのか。
 最後の2点への訝しさは、全く同感。掲示板やブログでも未だ逸っているらしい(陰謀論)。

 そもそも、自衛隊は、ポツダム宣言を受諾(無条件降伏)し、日本国憲法(平和憲法)が制定、その下に誕生させられた組織である。旧軍が大敗北を喫し、否定されての誕生だ。
 一体性を追求する理由は一切ない。また、追求してもならない。敗戦の軍は、現在の民主主義下の“国体(日本国憲法を最高法規とする国家体制)”とは合わないのだから。
 …開戦は避けるべきではなかったか、兵站はどうだったか、作戦はどうか等々、よくよく検討・学習してみるべきではなかろうか(軍としては)。
 それなのに、被害者意識から免れないでは、過去の戦争・戦略・戦術から学ぶこともできないのではないか。絶対に確認・監視が必要だが、それにしても、田母神氏風の環境汚染への危惧は募る。

 本件についての問題意識も、全く矮小化したもの(例えば政府筋の、公表したのが悪かった或いはその時期が悪かった)から、本来の文民統制が自衛隊で行われているのか、危惧し疑念を晴らすよう求めるものまである。
 しかし、文民統制とは、単に「上命下達」程度の軽い(政府が代われば変わってよい程度の)ものではない。日本国憲法(国民主権、基本的人権、平和主義)を回避して語れるものでは決してないのだ。