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0221 先入観と偏見、誤解 桃李 2008/10/28-10:26:40
テレビがではじめたころの美術雑誌を古本屋で買ったら、
女優の岡田茉莉子が
「テレビで見る色は本物とは違うのに、本物ではない色に視聴者の眼が慣れて、それを本物と信じてしまうのはよくないだろう。」と語っていた。

勿論当時のテレビよりはるかに今の方が性能はいいのだが、なるほどテレビとは、「こういうものなんだ」という先入観を植え付けてしまう可能性があるのかと思ったことがあるし、もしかしたら
真実とは異なる、みたいと思う色や形や、聞きたいと思う話を聞いているだけのことが多くなってしまったかな。と思う。

テレビのことはひとつの例として、それ以外にも日常で気が付かなかった先入観、偏見、誤解を見つけることがある。

パリ、空港のファーストフード形式のカフェで、ホームレスらしき男性が出たり入ったりすること30分近くたった。

私の隣のテーブルの客がパンを紙袋に食べ残して出て行くと、その男性が袋を開けて食べはじめた。

誰も出て行けとは言わない。

お腹がすいていると思い、誰かがお金を渡そうとしたが、断られた。

お金をもらえば新しいパンが買えるのに、食べ残しを食べることを彼は選んだ。理由はわからない。

人を思いやる気持ちはあっても、その方法は難しいと思った。

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滞在中にお借りするアパートの大家さんに会った。
黒人の美しい女性だった。

不動産屋から紹介してもらい会うのはこの時が初めてで、大家が黒人だったことに内心ちょっと驚いていた。自分でも気が付かないうちに先入観や偏見をもっていた。正直に恥ずかしかった。

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アパートのそば、パリのユダヤ人街へ昼食と食材の調達に出掛け違う価値観に基づいて作られ売られているものごとを目にして色々考えていた。

帰りに石けんを買おうと店にはいると、店員は身振りも話し方も女性なのに、見た目はひげを生やした男性だった。

男なのか女なのかわからないこの人に、最初は驚いたけれど
話してみるとまるきり女性で、自然に顔のひげのことすら忘れていた。

必ずしも比べることによい方策があるとは言えないが、性同一性障害者であれば日本は今のところフランス社会より生きにくいと思う。

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違う物、違う人を受け入れることに慣れていると、物をみたり考えたりするときの方法や内容の引き出しが増えるだろう。

これらのことでハッとさせられたのは、自分の中にあった先入観と偏見だ。いろんな違うものが存在する権利や自由を分かっているつもりでいたのに。

井の中の蛙である。こうやって機会があることに感謝してときには恥をかき、ショックを受けながらその時向かい合っていることから学ぶのも必要なこと。

無知と偏見、先入観が自分の視野を狭くする。そして互いによい方向へ生きていこうという気持ちはあるのに、それをゆがめてしまう。

私などは思っているほど自分すら知らない。だから今まで気が付かなかったことにハッとすることで自分に気が付き、他を思ったり受け入れたりすることを、大事にしたい。それはいままでもそのつもりだったが、一生終わらないことかと思う。

いつ、どこにでもあって気が付いていないのかも知れないし、あり得ないと思っていたことを受け入れることで、よい方向へ変わっていったり、誰かを生きやすくする可能性が増えるのかもしれない。