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0219 戦後六十余年 くぬぎ林 2008/10/13-00:38:46
この頃ふっと考えるのは、昭和四年生まれの私にとっては、明治維新はその頃からせいぜい六,七十年しか昔でないのに、全く単なる歴史上の事件でした。
それで考えれば、私にとって生死に拘わる六十余年昔の終戦も、今の人にとっては終戦のごたごたなのはよく判ります。
この経験の差をちじめるのは教育でしょうが、それは簡単なことのはずはありません。

そんなことを考えながら,漱石の、私が大好きな『それから』を読み直してみたら、主人公代助の意見として(多分に漱石の意見だと思いますが)「日本は西洋から借金でもしなければ到底立ち行かない国だ。それでいて一等国を以って任じている・・・なまじ張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争する蛙と同じ事で、もう君腹が裂けるよ」というのがありました。

その通りになったのが敗戦です。

それでついでに漱石の「現代日本の開化」(明治四十四年)という講演エッセイを読み直したら、彼の開化の定義云々は別として、明治以後の日本の文明が外発的な開化で、外部の強い圧力で「あたかも天狗にさらわれた男のように無我夢中で飛びついて行くのです。その経路は殆ど自覚していない位のものです」といっています。

このエッセイを全部は紹介できませんが、全文が敗戦後アメリカの支配の中での日本にもまったく見事に当てはまるものでした。 日本は終戦後も模倣だけで本質的にはなにも変わっていない気がしました。 そしてあの当時の漱石と同じくらい悲観的になりました。
その例はあまり沢山あるので、ここに書ききれません。

しかしたまたま中江兆民の「三酔人経綸問答」を眺めていたら、その一人の紳士君は絶対平和論者で、「かりに万一相手が軍隊を率いてやってきてわが国を占領したとしましょう。土地は共有のものです・・・今日は甲の国にいるから甲国人なのですが、明日この国に住めば今度は乙国人ということになるだけの話・・・わが人類の地球がまだ生きている限りは世界万国、みなわれわれの宅地ではないでしょうか」と言っていました。

今アメリカに占領されている日本人にとって、欧米十九世紀式の国家観の迷信を破るいい文章だと思いました。