呼出完了
0213 百山 2008/09/01-00:19:01
 時の刻みに速い・遅いがあるはずもないのに、この身の周りのそれは、なぜ こんなにも速くなっていくのかと、思わず愚痴りたくなる。
 リレーの始まりから騒々しかったBeijing 2008も、もうそろそろ昔話。その前の洞爺湖サミットなどは、その影の薄さから 十大ニュースの総合版では、指折られるかどうかと思えるほどの位置取りだ。

 「その頃の洞爺湖は霧の日が多くてねぇ」という地元の人の言葉のとおり、期間中 テレビの画面では、湖面を取り込んだショットにはお目にかからなかったように思う。
 霧なんて神風が〜 なんて思ったかどうかは別として、空港から湖の景観を愛でながらヘリで会場入り の目論見はあっけなく外れて、そこのけそこのけの交通規制。
 市民生活には大渋滞のプレゼントがあったらしいが、本州から外れた北国でのこと、その辺のことは関心の外がマスコミの本音だったのか、あるいは一大政治ショーを前にしての国威高揚の走狗に成り下がったということなのだったろうか、さっぱり聞こえてこない不気味さ。

 戦後生まれ、いや厳密に言えば 戦前最後のあたりから戦中生まれも含まれようから、70歳少し前の世代までは 神風が吹くなんて言葉には、もう それなに?だろう。  だが、それ以降の年代の者たちには、長ずるまでのいずれかの一時、それを信じ、あるいは頼みとする気持ちに染まった時期が有ったのではなかろうか。
 なにせ 神国日本、神の加護は付いて離れずと教え込まれた「赤子」だったのだから。

 だが 今は違う。そのような「刷り込み」から解き放たれ、己が耳目で物事をつかみその真贋を見極め、己の判断が全てを超えうる。
 風神の手に有った袋は、いまや国民一人ひとりの手に委ねられている。どのような風も自在に吹き出させることが
できる時代なのだ。
 都合のよい情報は繰り返し流すが、その反対のことは決して洩らさぬ。 
 サミット警備によくも動員したと言うしかない警察官の数。これ一つとっても、何と言う「お任せ体質」に泥みきっていることか。 
 ブログを丹念に更新しているのは 全体の何%程度だとかを調べる部署があったり、玩具にもならぬ装備・弾薬に何兆という経費をかけながら、年貢が足りないということになったら もう少し出しましょうとなるのが当たり前などと宣う。

 どのような「風」を、それぞれの持つ袋から吹き出させるか。その「時」はもう、指呼の間に迫っている。その風は、神風でもなければあなた任せの空っ風でもない。この社会の命運を乗せて次世代へと吹き継ぐ節目の「風」である。