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0212 Re: 護憲コラム 名無しの探偵 2008/08/27-09:55:40
日本における「信教の自由」と政教分離原則

今回のテーマに関しては一法学徒として反省すべき問題が
多かった。
最初に種本というかテキスト(参考文献)の紹介から申します。
阿満利麻呂著「宗教は国家を超えられるか」という本に書かれていた日本の近代史:宗教史の内容は私にとって「目から鱗」が剥がれる経験だったのである。

その経験から言うと、これまでの信教の自由の裁判、特に「政教分離原則」の関連する判決、例えば津地鎮祭判決などに示されていた裁判所の判断において問題になった神道に基づく儀礼や行事を宗教ではないという場合の根拠として「それらは(国民の)習俗にすぎないから」というのである。

習俗なのかという疑問は出てきたが同時に私の内心では「習俗なら宗教性は希薄だな」という心理も存在した。 

ところで、そういう信教の自由の関する前提で上に紹介した著書を読んでいて驚いたことは明治維新直後に徐々に
政府が国家神道を国民へ強制していく過程において政府が
依拠した論理が「国家神道はキリスト教などの宗教と異なり習俗にすぎない」というものだったのである。

阿満(あま)氏によれば国家神道を広く国民に強制していく過程で仏教徒(特に浄土真宗の僧侶)から提出された建議書で「宗教は国家などに強制されることはない」という
信教の自由原則が存在したからなのである。また同時に
当時不平等条約を改正しようとしていた政府は欧米諸国の
求めてきた日本における「信教の自由の確立」が存在したことも重要である。

そこで憲法の解釈本を出していた伊藤博文実際には井上つよしが展開した論理は宗教の外面と内面を分離することだったという。
つまり、井上によれば(キリスト教などの)宗教活動の積極的な展開は制限されるとしても信教の自由は内面ではどこまでも自由なのであるという根拠のない宗教哲学だったのである。

それにしても日本において明治以後も隠れキリシタンに対する江戸時代とほとんど変わらぬ弾圧政策を政府などが行っていたことを考えると井上などの論理がいかに奇妙なものだったかが分かる。

上記の著書によれば隠れキリシタンの信徒100人くらいを狭い小屋に押し込め子供などは地に足もつかぬ状態で不衛生のあまり亡くなったという。これではナチスのユダヤ人収容所よりも酷いというべきであろう。

こうして内外からの批判をかわすために依拠した論理が「
国家神道は宗教ではなく習俗なのである」というものだった。(同書188ページから213ぺーじ)

こうした戦後は日本国憲法の制定によって使用禁止された
はずの「国家神道は習俗にすぎない」という詭弁(阿満氏の表現)が日本の信教の自由に関する判例で堂々と復活していることがはじめて分かる。

それは法学者による徹底した批判も免れているというなんという怠惰だと。(もちろん、法学者の違った形での批判はたくさんあるが直接的な批判や歴史を貫通した根底的な
批判はなかったという意味であろう。注、名無しの探偵)

上の著書を読み私は信教の自由と政教分離原則は「歴史的な問い」なくしては解決不可能な問題を抱えていると思った。

特に日本の憲法解釈においては戦前の日本の国家の性格と
ヨーロッパのそれとを比較的に鳥瞰する作業も重要である。
晩年にはナチスの理論家と言われたカール・シュミットが
指摘するように、近代国家は国民に宗教などを強制しない「中性国家」であるところに特色がありそれが近代以前の国家と異なる近代国家の性格なのであるということである。

果たして未だに神道への国家や政治家による参加活動を「習俗だから許される」という判例が多数存在する戦後の日本国が「近代国家」と言えるのだろうか。きわめて疑問である。
                      以上。