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0208 Re: 護憲コラム くぬぎ林 2008/08/03-22:26:34
 最近では、小泉、竹中路線の新自由主義、グローバリズムと称する原始的な資本主義、金儲け絶対主義や、もっと昔からある、実質占領下の日本人や日本政治の退廃の生み出したさまざまなウミ、社会保険庁の無茶苦茶な〔経営〕、防衛省の腐敗の結果などを何とか誤魔化さないと大変だ、自民党が潰れそうだという危機感で福田が夢中になっている今は、選挙に損なだけの改憲論は表面にだしそうにないし、選挙対策としては民主党も同じだろう。
 
 こういった小泉、竹中路線の生み出した諸悪、それ以前からの国民や政府の退廃の結果の個々について、護憲+が常に取り上げて批判することはぜひ必要であろう。

 しかし、ここではこういった問題の根にあると私が考える二つの点を取り上げておきたい。

 一つは、その行く先は当然化石資源の枯渇である近代西欧の機械文明と、漱石が牛の真似をする蛙の比喩で批判している、その模倣に勤めている現今のアジア文明の問題である。
 この点について私にもうまい解決策が直ぐあるわけではないが、保守的な私としては、循環可能な文明の方向を考えざるを得ない。

 第二は、これより問題は少し小さいかもしれないが、これとも深く関わりのある問題である。
 明治以後大きな支配力を持ったインテリが、「文明開化」の標語のもとに、外来のイデオロギーか、そのちょっとした焼き直しの国粋版で、見え見えの事実に盲目になって突っ走る傾向である。
 昭和史でいえば、昭和4年の大不況時から始まるマルキシズムの全盛(昭和初期の弾圧で、小学校の教員五千人が検挙されている)、その焼き直しの北一輝の理論、戦後の共産党ならびに類似左翼の、独ソ不可侵条約やシベリア抑留を無視したスターリン崇拝などである。
 さらに、こういった思考方向をひどく単純化した「鬼畜米英」といったありえない標語の横行である。当時でも私は英語という人類特有の言語の一つを習っていたので、英米人が畜生だとは思えなかった。 そして、大変生意気な言い方であるが、こういった傾向には戦争中から乗れない人間である。
 したがって、私はもういつ死んでもおかしくない人間ではあるが、ふつうの考えで人殺しは厭で、憲法九条を死守しようと思っている。
 そうすれば、アメリカとの関係ももう少し深刻になるかもしれないが、植民地的な 自民党の政権のしてきたいい加減さも、相当変化せざるを得ないだろう。