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0205 人間らしく生きて行ける社会を求めて(在宅介護から日本社会を考える) 笹井明子 2008/07/07-23:15:56
母の転倒、右肘骨折に伴って、娘たちによる24時間体制の在宅介護が始まって9ヶ月。いよいよ本格的な公的介助無しには立ち行かなくなってみると、今の介護制度が、いかに被介護者本人や家族の希望に適切に対応できないかを、痛感させられます。

一人での立ち上がり、立位の保持ができない母のため、朝晩の着替えを手伝うヘルパーさんに来て欲しいと思っても、そういう人を派遣できる事業者がありません。ようやく見つけたと思ったら、母の状態を見て「無理です」と断られました。ヘルパー制度は今、善意のボランティアに近い主婦によって支えられており、自分達の生活に差し障るような仕事は引き受けてもらえません。一番必要で大変なところは、家族が支えることになります。

週に一度利用しているデイサービスでは、介護士さんたちの献身的なサポートを受けて、母も落ち着いた時間を過ごしています。しかし、介護士さんの中には、鎖骨を疲労骨折して、保護バンドをしながら働いている方もおり、骨折しても休むことのできない職場環境の厳しさが推察されます。そのデイサービスもほとんど空きが無く、希望にあった形で利用日を増やすことは困難な状況です。

その一方で、ヘルパーの資格を取ろうと地域主催の講習会に申し込んだものの、定員に満たなくて講習会自体が不成立だったという話も、身近な人から聞きました。「介護は大変で報われない」というのが、社会に定着し、誰もやりたがらない仕事になっているのでしょうか。コムスン譲渡の在宅介護事業所の多くが、介護職員の不足のため休廃止しているというニュースも入ってきています。

介護は、人が最後まで尊厳を保って生きていくために必要不可欠な大事な仕事です。しかし、生活をしていくのに十分な賃金が支払われないために職業としてのなり手がいない、職業として選んだ人は体を壊しても休むこともできない、だから益々なり手がいなくなる。こうした悪循環が起きています。

その結果、介護認定がなされても、実際に利用できるサービスは半分にも満たないまま、子供や配偶者がぎりぎりまで身を削って支える「介護難民」とも言える状態が生じています。現在私たちは、ケアマネージャの懸命な尽力もあり、ギリギリのところで凌いでいますが、老老介護の行き詰まりで親に手をかけた話や、親の介護で仕事を辞めざるを得なくなり生活に困窮したという話を、最近度々耳にします。

反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんは、著書「反貧困」(岩波新書)の中で、『貧困が大量に生み出される社会は弱い。どれだけ大規模な軍事力を持っていようとも、どれだけ高いGDPを誇っていようとも、決定的に弱い。そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていかないからである』と言っています。

「貧困」と「介護難民」は同根であり、表裏一体の問題です。人が人間らしく生き続けられない社会、長生きすることを本人も家族も喜べない社会。それは、小泉政権時代に推し進められた新自由主義政策と、同政権の社会保障費の抑制政策(「骨太の改革2006」)の結果として、必然的にもたらされた産物です。

「郵政民営化」の派手なパフォーマンスに国民もメディアも気をとられている間に、こんな社会へのレールが敷かれていたなんて・・・悔やんでも悔やみきれません。しかし、現実が明らかになった以上、私たちは自分達の生活実感に基づいて声を上げ、選択眼を養い、現状を変えるために行動することが、今は何より重要なのではないでしょうか。