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0198 政治議論の方向性 流水 2008/05/24-10:25:29
政治議論には、大きく分けて二つの方向性がある。一つは、、現状の制度を存続させながら、手直しすれば良いという議論。これを【A】とする。他の一つは、現状の制度それ自体を否定し、抜本的な改革を行おうという議論。これを【B】としよう。

戦後日本の政治は、おおむね【A】の議論が主流だった。たとえ、【B】の思想を持っていても、現実的選択(生き方)としては、【A】を選択してきた。少なくとも、政治家・官僚・学者・評論家・マスコミなど、いわゆるオピニオンリーダーたちは、【A】を選択してきた。
政治思想でいえば、資本主義を選択してきた。少なくとも、戦後日本で社会主義の到来を本気で信じた人間はきわめて少数であるといえる。戦後の一時期をのぞけば、おそらく、学生運動の指導者、労働運動の指導者でも、本気で社会主義の到来を信じた人間は、一握りだったと推測できる。

大雑把に概括すると、日本の体制・反体制の議論の大半は、資本主義の永続性を前提にしたものだった、と総括できる。

しかし、ソ連邦崩壊後の、グローバリズムの急速な進展は、資本主義のありように深刻な問題を提示している。資本のグローバル化は、地球を一つの国家としてしまった。かって、マルクスが夢想した国家消滅が、資本に限って言えば、ほとんど実現している、といっても過言ではない。
現在の世界の主要な問題の大半は、資本の暴力的な国際化(グローバル化)に起因している。戦争・貧困と格差の拡大・環境破壊・食糧問題・水問題・エネルギー問題・テロの拡散などの淵源を辿れば、そのほとんどが資本主義の問題に帰着する。新自由主義経済論の席巻が、その問題を増幅させた。これから以降、資本主義とは何か、資本主義の限界についての議論が、ますます大きくなるだろう。

物理学に【破断界】という概念がある。物質に力を加えて、その物質が抵抗弾性値を越える、ぎりぎりの限界点を【破断界】というそうである。

堺屋太一の説明では、以下のようになる。
「「厚さが2mmほどの板切れがあったとします。その板切れを両手で持ちまして、両方の手で、両方から力を加えます。すると、その板切れは上か下かの方にそねり、湾曲し、そして、曲がります。更に力を加えると、板切れは更に曲がります。更に力を加えると、板切れは悲鳴を上げて、ペキペキ音をたてます。ここで、力を抜くと、板切れは元へ戻ります。平らな板切れに戻ります。

ところが、板切れがペキペキ音をたてて悲鳴を上げているにもかかわらず、更に力を加えると、板切れはベキッと音をたてて、折れてしまいす。

手の中には二つに折れた板切れが残ります。しまったと思って、バンソウこや糊を使って直しても、もう二度と使えません。同じように、両手で両方から力を加えると、すぐに折れてしまいます。」「堺屋太一: (破断界)」
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どうやら現在の「資本主義」は、【破断界」を超えつつあるようで、世界中がペキペキと音を立てている。地球温暖化、環境問題、食糧問題、エネルギー問題、世界中に広がった貧困と格差などなど、この悲鳴の表れである。

現在の日本の問題も、この「破断界」という概念を使えば、くっきりと見えてくる。
●日本の財政赤字は、修復可能か。
●年金制度は、修復可能か。
●医療制度は、修復可能か。
●日本の農業は、修復可能か
●日本の教育は、修復可能か
●日本の環境は、修復可能か
●少子高齢化は、修復可能か
●社会不安の解消は、修復可能か
・・・・・・・・・・・・・・・・・・etc
わたしは、日本は【破断界】を超えていると考えている。日本の現状は、修復可能な限界を超えてしまっている。これを修復するには、新しい発想で、新しい制度を構築する以外にないと思う。
つまり、【A】の発想のような【手直し】で修復できる現状ではない。

後期高齢者医療制度の例が一番分かりやすいが、この制度導入の動機は、「医療費抑制」以外の何者でもない。
新自由主義的発想(効率化最優先)からすれば、医療費増加の最大要因は、高齢者の増加にある。ならば、そこの医療費増大をどのように抑制するか、を考えるのが自然。となると、一番効率的なのは、高齢者が早く死んでくれること。それはあまりにも露骨すぎるから、できるだけ医療を受けさせないようにするにはどうするかを考えたのが、【後期高齢者医療制度】というわけである。

いくら【手直し】しても、この制度創設の思想は変らない。制度の本質は変らない。これを抜本的に変えるには、思想そのものを変えなければ、変らない。非人間的な効率性優先思考から、人間の本然の性に立ち戻った思考に変える以外にない。

わたしは、現在の日本は、後期高齢者医療に象徴されるように、もはや元には戻れない【破断界】を超えているのだと思う。小泉純一郎と竹中平蔵の五年間は、ペキペキと音を立てている板を容赦なく押し続け、板を折ってしまったのである。
現在の福田政権は、折れてしまった板にガムテープを張ったり、ボンドを塗って修復しているが、もはや手遅れ。
一見、元の板に戻ったようでも、少し力を加えれば、すぐ割れてしまう。

【破断界】を超えた日本を抜本的に改革できるのは、ただ一つ。新しい人の新しい発想による新たなシステム構築以外にない。新しい酒は、新しい袋に入れなければならない。この視点を欠いた政治談議は、もはや時代の要請にこたえることができないと思う。