| 流行語にKYというのがあり、「あいつKY(空気が読めないヤツ)だな」というふうに批判的に使う。安倍首相の辞任に関わって使われ始めたと聞いた。
もちろんその場の雰囲気を聡くつかみ、それを壊さないようにしながらも、自分の意見をはっきり言うテクニックと心遣いを持てれば、それに越したことはないのかもしれない。
しかし、その場の「空気」などというアヤフヤなものからはみ出さないように、ひたすら気を遣うことを大事に思う人が多いと聞くと、「ちょっと待ってよ」と言いたくなる。
その場の空気に迎合するのがいいとは限らないのではないか。「KY」などと言って異論を排除しようとするのは、共通認識を前提に思考の幅を狭くしていないか。いわば村意識、せせこましくて何だかいじましい。
あえて共通認識を破ることで、新しい発想を生み出し、空気を変えていくこともある。またその場に合わないように思えるどんな発言にも耳を傾け、そこに面白さや意味を見出す好奇心も必要ではないだろうか。
そして言いにくいことであっても、その場の空気に流されたり呑み込まれたりせずに、どんな場でも自分の考えをはっきり言える方が大切ではないか。 9・11のあと、イラクへの軍事介入にアメリカ中が沸き立っていた中で、たった1人の女性議員が議会で反対票を投じた。 http://park.zero.ad.jp/yuyujp/barbara.htm
周りがどんな空気であれ、自分の信念や判断力に従って行動できる勇気こそ望ましいと思う。
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