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0182 またも憲法について くぬぎ林 2008/01/28-18:41:51
「志衰えし日はいかにせましな」(三好達治)という困った心境ながら、コラムの筆をとっています。 オフ会などに出ると、皆様が親の介護に大変みたいですが、こっちはもう両親はとっくに消えうせて、ひたすら我が身の処置に困っています。 自栽は怖いし。

現在の日本の政界、議席数などを見ると、ここ当分は、憲法九条改悪案を表に出すと、そういった方が選挙の時の得票が少し減るだろうから、自民も民主も当分それをわめきそうにない。
 
でも、だから逆に、この憲法ができた時にいくらかは物心ついていたわれわれが、このことをもう一度きちんと考えて、主張すべきは主張しておきたい。

この憲法がGHQの民生局が原案を作ったのは紛れもない事実である。そして九条は、日本がまた武力を持って(アメリカみたいに)よその国を侵略しないようにと考えられたのは間違いない。
しかしこの、戦争を絶対にしない憲法、今まで自国内ではなかなか実現できなかった婦人参政権を手に入れたこととともに、戦争に本当に疲れ果て,傷ついていた国民がこれを歓迎したことも間違いない。

そしてこの前の戦争で亡くなった何百万の兵士や、何十万の市民の犠牲の結果、この憲法はできたのである。特攻隊の生き残りの人々が、当時の凄絶な努力を顧みて、それが全く無意義だとはおもいたくないのはよく分かる気持ちである。
 
しかし、そういった悲惨な努力、その努力の空しさがはっきり分かった結果、現在のそういった人殺しを禁止する憲法ができたことを考えれば、この憲法が先人の物凄い犠牲の上に成り立ったものだと考えて、もう少しそれを尊重するつもりになってもいいだろうと思う。          
戦争で自分の本土は少しも被害がなく、日本との戦いでの戦死者も日本の何十分の一にもならないアメリカさんの傭兵になるために、もう一度また憲法を変えるなんてとんでもないことである。自衛なんていって今どこかと戦争をする場合、日本人がアメリカ軍の指揮を執る可能性はまったくないが、(実質的にはアメリカに占領されている)日本の土地で、日本の軍隊はアメリカ人の指揮のもとに働かされることは間違いない。こんなことは真っ平ごめんこうむりたい。