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0175 アメリカ帝国主義と日本国憲法 名無しの探偵 2007/12/10-22:20:00
1、日本国がポツダム宣言を受諾しその宣言に基づき日本国憲法という憲法改正手続きでは説明が困難な憲法を制定した。

宮沢俊義(当時の著名な憲法学者)の「八月革命説」が説得的な理由もここにある。

その憲法の中でも際立っているのは憲法9条と憲法前文の
「平和的生存権」であろう。
この条項を読む限り侵略戦争であろうと自衛権の行使としての戦争であろうと「戦争」に訴える権利を国家に認めていないのである。

戦争違法化のプロセスにおける最終段階のレベルに到達する規範を憲法9条は規定したことになったのである。

ところが、日本国憲法とりわけ9条を連合国の中心国家として憲法制定の事実上の草案を創造したアメリカ占領軍は
国際情勢の変化に鑑みてこの憲法9条に楔を打ち込む。
具体的には安保条約の締結と占領以後も条約に基づいて
軍事基地を日本の各地に敷設したのである。(1950年代)
2、1950年代から現在までの歴史の変遷においてアメリカは「帝国主義」としての顔を徐々に明白に打ち出してきた。
遠くローマ帝国の時代から覇権を持つ国家は周辺の地域を
植民地としてあるいは従属する地域として主に「軍事的な支配下」に置く。
ローマ帝国の歴史を見ればそれ以後の帝国の支配のあり方が透けて見えるというものなのだ。
特徴としては帝国内部では「デモクラシー」のシステムであるが、対外的には軍事的な支配などの強権的なシステムで「帝国と従属地域という世界支配戦略」を完成させている。
そして、ローマの戦略として現代世界にも通用する「支配の原理」として「分断して統治せよ」というルールが適用されるのだ。
このルールはアメリカの戦略にも端的に表明されている。
日米間という二国間に極限された安保条約は条約だけを見ていると一見合理的なものに見えるが多国間の国際的な視点から見ると軍事同盟であり、しかも大国の小国に対する
従属的な内容の不平等条約であることが容易に分かる。
それにしても一方の国家がもう一方の国家の領土に軍事基地を提供させしかも基地のさまざまな費用も出費させているという条約が平等なはずはなく、そもそも「条約」という名に値しないのではないだろうか。
この米軍基地は占領という事実とほとんど変わらないのではないだろうか。全面的な占領ではなく、一部の占領と言い換えてもいいだろう。
こうしたアメリカのやり方こそがまさに帝国のやり方なのである。
3、この帝国主義の国家のルールと対極にある法的なルールが憲法前文の「平和的生存権」の思想と憲法9条の「戦争の放棄」と軍備の不保持の宣言なのである。
憲法9条の思想的な文脈から絶対に軍事基地の提供ルールは出てこないし、逆に軍事基地の撤廃こそが9条の論理なのである。
占領が終わったあとで軍事基地を大々的に保有する国家こそが近代憲法原理に反する帝国の支配原理なのである。
全面的な占領を占領の意味に限定して軍事基地を「条約」
によって提供させ一部染料を継続させる政策は「国際法の精神」に違反するのではないだろうか。
しかもアメリカは現在イラクで不当な占領を継続し国際法に違反する状態を維持しているのである。
日本政府は野党などの反対も無視して帝国の属国としてアメリカの国益に従う政策を憲法という政治の基本原理を侵害して行い続けているのである。
日本政府が憲法に基づく政治の軌道に修正するのであるなら、憲法前文の平和的生存権と9条の規範に照準をあわせるほかに道はない。
地球温暖化によりこのままいけば人類の今の文明は近い未来に崩壊すると推定されている。
同じことは戦争の頻発の歴史にも当てはまる。その戦争被害の原因はほとんどアメリカ帝国に起因している。
地球温暖化と戦争の頻発はコインの裏と表なのではないか。
帝国としてのアメリカは地球文明の崩壊を加速させる癌なのではないだろうか。