| 先日、鶴見俊輔の講演を聞いたとき、かすかな異和感を覚えました。 彼は自分を”不良だ”と断定していたが、わたしから言わせると何とも優雅な不良だなと思いました。 実は、わたしの姉の旦那も、オックスフォード大学の客員教授から日本に帰ったとき、何度も何度も俺は不良だといっていたのを思い出したからです。 義兄が、自分は不良だ、といっているのは、英国の教授連中と多少違うことをしたくらいの話だったのです。 少なくとも、わたしの中にある不良のイメージとはまるで違う話でした。
わたしには、鶴見俊輔の不良の話もその程度にしか理解できなかったのです。
実は、この話、鶴見俊輔の思想の核にかかわる話ではないかと思うのです。普通の庶民の子の不良は、【敗者復活戦】が許されないのです。鶴見俊輔のように、日本の学校で駄目だったから、米国へなどという発想とは無縁の世界で生きているのです。 恐らく、鶴見俊輔は頭ではそのことを理解しているのでしょうが、肌で分かっているとは思えません。
それこそ、一杯の飯のために人殺しでもしようか、という貧困の世界に生きてきた人間には、思想のために生きるなどという高尚な生き方などどうしても理解できないと思います。
何をいいたいかというと、【革命運動などというものは、彼のように理念で生きれる環境】がなければ、難しいということなのです。鶴見俊輔は、彼の出自を否定しながら、その出自からの恩恵を受けたからこそ、鶴見俊輔という人間が存在したという背理を生きてきたのです。この背理を自覚しているからこそ、彼は生涯反権力、反体制であり続けることができたということだと思います。 その意味で、彼は言葉の真の意味での知識人であり続けたということでしょう。
しかし、不良の話が象徴するように、この知識人は、庶民から見れば、自分たちとは少し違うという目で見られる存在なのです。この微妙な異和感をどのように克服するか、今も変らない思想運動、市民運動の課題なのだ、ということを改めて確認した講演でした。
| |