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0169 残照の中で 百山 2007/10/29-11:25:20
 この週末は、11月3日。問うまでもなくそれは文化の日。しかし、大隠居からは したり顔での「昔は明治節と言ってのう」の声がかかるやも知れぬ。
 だが、5月3日の陰に隠れて思い起こす向きは少なかろうが、昭和21年のこの日こそ、その前年の10月4日から始まった新憲法制定作業の結果を確定し、それを公にした日なのだ。
 爾来61年、時は流れその日以後に生を受けて社会の中核を担って来た人々も、順次その任から解き放たれる頃合いを迎え始めた。よって、これらの人々にとっての「日本国憲法」は、改めてその存在を意識することもない太陽・大気などと同列のもの、言わば天与のものであったろう。

 根本規範たる前文以下、各章各条に初めて触れた時のあの新鮮な喜び。それは、あの戦争・敗戦を体験した者なればこそのものである。
 如何に真に迫った語り口で語りかけられ、あるいは惨状を示す資料を並べ立てられようとも、他者の体験は決して己のそれとはなり得ぬ。
 皇軍の進撃に敵なしの威勢の良さはいつしか影を潜め、必要最小限の鍋釜類を残して金物と呼ばれるものは神具仏具の果てまで身辺から消えた。
 パラシュートで降下する敵兵の足が地に着くか着かぬかに竹槍で突き殺すと、真顔で訓練に励んだ大人達。敵兵は素手で降下してくるとの夢想が幅をきかしていたのかも知れぬ。
 飛来するB52爆撃機の爆音に怯え、夜は灯りの洩れることのないようにと肩を寄せ合って縮こまっていた。このような日々があってこその無上の喜びであった。

 この世に要らざる戦いはもう起こさぬ。その思いはこの60年余の時間の中でどれだけ確乎たるものとなってこの国、この世に根を張ったか。
 新しい世の基本理念、自由・民主を党名に冠し、殆どの期間を政権の座にあったこの国の保守党は、党名に相応しい姿勢でそれに取り組んできたか。
 答は言うまでもないこと。解釈改憲などというおぞましき言葉を道連れとして恥じることのない日々の連続と言っても決して過言ではない。
 一国平和主義などと言って揶揄する。それぞれの平和希求が、やがては全世界の平和へと連なる。
 それは、あるいは紹介しないマスメディアの責めかも知れぬ。
しかし、国連総会など国際会議での演説機会の都度、この国の平和希求理念の紹介と同調を求める呼びかけを行い続けているなどの報道に接したことは、短からぬ年月の中でまさに記憶にない。

 背中を見て…という言葉がある。しかし、こと国際関係においては、正対しての対話こそ正常な手段であろう。
 大国の背中ばかり見つめているみすぼらしい後ろ姿からは、何一つ語りかけてくるものはない。