呼出完了
0166 戦前の歴史を再読する 名無しの探偵 2007/10/09-21:15:50
卒論(平和的生存権)も大詰の段階に来て戦前の歴史を振る帰る機会があり特に徴兵制度の歴史に何かヒントが隠されているのではないかと思い二冊ほど本を読んだ。

一冊は小森陽一氏の本で著書名が正確に思い出せないが、その中で夏目漱石の徴兵忌避の問題に触れられていたことが私の興味を引いた。

小森氏によれば、漱石は初期の作品「草枕」の中で自分の
ことを登場させているという。

その自分の名前が「送籍」という小説家なのである。
この名前から読み取れるのは漱石が徴兵逃れのために北海道に戸籍を移して徴兵を免れたという自己告白の文章だったという。なるほど「送籍」というわけである。

この漱石のエピソードに興味が湧いたのは他でもない、
もう一冊の本「国民軍の神話」(原田敬一著、2001年)には基本となる資料が「日本近代文学全集」であるにもかかわらず、この漱石のエピソードが記載されておらず、本書では若山牧水や志賀直哉の「徴兵検査」のエピソードから始まっているのである。

大分前置きが長くなったが、私の言いたいことはこうである。

戦後生まれの私たちは「徴兵制度の歴史」として専ら伝えられたのは「赤紙一枚で兵隊に採られた」とか「一銭五厘の詩」とか太平洋戦争のたけなわになると上は40代から下は10代後半の老兵や少年兵まで戦場に送られたという「情報」である。

しかしながら、こうした誰でも兵隊に採られたという状況は太平洋戦争末期のことであり、原田氏の「国民軍の神話」という書物によると、日本の国民は日中戦争に入ってからも何とか徴兵忌避の行動を少なからず起こしていたという。

戦前・戦中の歴史の「情報」として何時の時代の情報であるのか正確に見定めないととんでもない間違いを起こしてしまうというわけだ。

こうして、徴兵制度の変転から時代の歩みとして把握していかないと歴史の真相に迫ることはできない。
(このことが最初に言いたいことだったのである。)

ところで、ベトナム戦争の頃に脱走兵を匿った話しがあった(今度京都の講演会の講演者「鶴見俊輔氏」がこの事件に関わっていた。)が、あの時代のアメリカでは徴兵忌避のためにいろいろと画策があり、中でも記憶しているやり方にお隣のカナダに亡命したというのがあった。脱走は最期の手段なのである。

しかしながら、ベトナム戦争に従軍した兵士の中で一番多いのは下層の青年たちであり、現在のイラク戦争でも同じである。

中流以上の青年は何とか「逃れた」(今も「逃れている」?)のである。

このことはアメリカの話しだけでなく日本の近代でも同様
であったことが原田氏の先の著書には書かれている。

それによれば、「徴兵令の規定を活用したものであり、代人料270円納入による者、免役規定:官吏、官立学生、
戸主、継嗣、独子独孫など」とあり、漱石のとった手段は
北海道の戸籍に移して「免役規定」のどれかに該当させたということであろう。

こうした徴兵忌避の国民抵抗の運動はNHKでもテレビで
放映されたこともある。(番組ではそうした人々の墓石を
写していたという記憶がある。)
国民が皆兵役に就くという国民の義務に唯々諾々と従ったという神話は戦後に出回った情報に過ぎないのではないか。

この徴兵の問題と同時に原田氏の本で明らかにされていたのは靖国神社への戦没者慰霊の問題だった。

上記の徴兵問題と同じく現在の私たちの「情報」では戦死者などが出ると靖国「神社」に合祀されるということになっているが、何故「神社」に合祀されるのかは現代人の多くが疑問を抱いていないが、この本で「その謎」が解明できた。

最初は仏教による慰霊が多かったが後に神道と仏教の合同になりその後靖国「神社」に統一されたというのである。
そうなると、靖国神社への統合は明らかに「習俗」などではなく、国家による「宗教」の強制:祭政一致の結果であることが次第に明らかになるのではないか。

今回の書き込みでは徴兵制度を中心としたが、歴史の流れを押えないと胡麻かされるという教訓を得た読書だった。

                    以上。