| 折角生まれてきたのに、戦争で死にたくない。戦争で大事な人たちを失いたくない。国家という人間の群れの争いで、大人も子供も老人も、ささやかな生活人が命を落とすことを認めない。
それが私の護憲にいる大きな理由です。
けれど最近になって、戦争反対以外にも、護憲支持派の価値観の中に、とても大切なことがあるんだ。改めて意識しました。それは
「人間が人間をどう捉えているか」
ということです。
さらに「人間は、生きる、生きている」ということをどういうことだと考えているかです。
戦争がいやだから。と言うことだけでなく、「生きていること」を大切にしたいと思うから、人間だけでなく動植物にまで心をかけて、人生の幕切れまでの「生」の時間を慈しむ。
そういうことがしっかり考えられると、今の政治の状態では、自然に護憲のほうへ考えが向いていく。
もし、守ろうとする憲法が、人間の生を脅かすものであったなら 私は護憲を支持しなかったでしょう。
つまり、私にとって護憲を支持する考えの原点は、法律より先に「どうやったら生きていることを大切にできるか。」 と言うことです。
護憲の皆さんの書き込みを拝読していると、生きることへの尊重の気持ちが溢れています。
これは本当に大事なことです。難しい問題であり、これを優先させるとときどき法律からはみ出てしまうかも知れないけれど。
人間は、国家にとっては道具のように見えるかも知れない。財政が厳しくなれば、切り捨てやすいところから予算を削る福祉をひとつ考えてみても、そんな風に思う。
私たちはカゲロウではないけれど、そのように懸命に生きて、ふとこの世とお別れをするときが誰にでもやってくる。はかない時間を大切にしたい。
つまり私にとって護憲を考える度に 「人間はどんな風に尊重されて、どんな風に生きるということを大事にしたいとあなたは考えていますか?」 いつもそういう根本を問われているように思っています。
その答えはひとつではありません。でも、あまりにも答えを間違ってしまうと、人間が不幸になります。
私はこの問いを、自分の原点として、いつも心に置いていたいと思っています。
| |