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0159 「体感速度20キロの社会と日本国憲法」(改めて・・) 笹井明子 2007/08/20-23:30:41
今回の参議院選挙の結果について、自公の大敗と並んで指摘されているのが、「護憲」を前面に打ち出した社民、共産、9条ネットの惨敗です。その原因や護憲派の課題については、色々と語られていますが、その理由のひとつとして、憲法論議が、日常生活の生活実感とかけ離れた観念的な論議に陥りがちだ、ということがあるのではないかと思います。

8月15日に放映された「考えてみませんか?憲法9条」というNHKの番組でも、「9条と自衛隊の位置づけ」や「集団的自衛権の合憲・違憲」など、為政者にとって、避けて通れない重要課題とはいえ、安全保障について正確な情報を持ちえない一般国民にとっては判断の下しようがない問題について、真剣だが噛み合わない議論が延々と繰り広げられ、正直なところウンザリし、設問自体に違和感を持ちました。

とはいえ、「国民投票法案」が通ってしまった今、誰もが憲法について自分の考えを持つことが、実際には求められています。では、私たち国民は、どんな基準で「国民投票」に臨めば良いのでしょうか。また、護憲政党や護憲グループは、今後どのようなアプローチをとったら良いのでしょうか。

以下は、一年ほど前「護憲+」が表題のテーマで学習会をしたときの概要です。
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今私たちの多くは、生き辛さを感じているが、それは、グローバリズムの進展、競争原理の徹底、小さい政府論など、アメリカの価値感を鵜呑みにした政府自民党の政策に負うところが大きい。これら政府政策の結果として、産業の空洞化、雇用の流動化、富の偏在、国民負担増、公的機関への信頼低下等が生じ、私たちに「焦り」「孤立感」「無力感」「不安感」をもたらしている。

それに対し、私たちの望んでいる社会をイメージ的に表わすならば、「体感速度20キロの社会」と呼ぶことができる。時速20キロというのは、少し力を入れて自転車を漕いだ速度で、人間にとって、最も心地よい時間の流れとされている。一方現状は、公道がF1サーキット化し、一般ドライバーは狭い道路に追いやられるか、走ることを諦めるような状態ということができるだろう。

「体感速度20キロの社会」とは、「安心・安全」「食べるに困らない」「人生を楽しめる」「多様性が尊重される」「自由が侵害されない」「頑張りが報われる」「共生・共助が当たり前」「考える力、自立する力を育てる教育の重視」といった社会、つまりは、生活重視の社会ともいえる。

そのような社会実現の可能性という目で憲法を読んでみると、憲法の中では、私たちの望む暮らしがほとんど全て、条項の形で権利として保障されていることがわかる。それは例えば、11条「基本的人権の享受」、13条「個人の尊重、幸福追求権」、25条「生存権」であり、そして何より9条「戦争放棄」である。

私たちの望みと憲法が一致していて、現実社会と憲法が乖離しているとしたら、それはそのような現実を生み出した政治やそのような状況を容認する私たち国民に問題がある。私たちは、社会の現実に会わせて望みを捨て、憲法を変えるのではなく、社会の現実を、憲法=私たちの望む暮らしに実践的に近づける努力をすべきである。

今後私たちは、自分たちの生活実感に照らして、身近な暮らしの視点から包括的な護憲論を繰り広げていくべきではないだろうか。
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以上、一年半前のこの議論は、「護憲+」の現在のスタンスにも繋がっていますが、それは護憲勢力総体が、いま直面している壁を克服し、(今回の選挙で「生活重視」を打ち出した民主党を支持した)多くの人たちと憲法の意義を共有するための、ひとつのヒントにもなるのではないでしょうか。