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0158 憲法学者の自伝的エッセー 名無しの探偵 2007/08/13-20:02:17
最近、日本国憲法が制定された当時に若者だった憲法学者の自伝的な著書を読む機会に恵まれた。

作家で言うと第一次戦後派の文学者と同じ世代かそれよりも若い世代である(護憲+の世代だとごまめの翁さんがこの
世代だといえる。第一次戦後派の作家としては安岡章太郎、吉行淳之介が代表的)。

一人は樋口陽一氏であり、確か20代でフランスに留学した。現在は桃季さんの情報では樋口さんは日仏センターの理事長に選出されたということだった。
樋口氏の本は日仏センターの講演をまとめたものであり、この本にはかなりショッキングなことが書かれてあった。
一例を挙げれば樋口氏が留学した頃にはアルジェリアの独立をドゴールが容認したためドゴールが右翼から命を狙われるという事件もあったという。
この事件が劇映画「ジャッカルの日」として日本でも公開されたのである。
樋口氏がフランスに留学して指導教官になった人がドゴール派だったためにやはり大学内でも右翼からの攻撃にさらされたという。(日本においてもその当時、社会党の委員長だった浅沼稲次郎氏が右翼の青年に講演中に刺殺されるという事件が起こっていた。)
宗主国だった大国が植民地だった領土を手離す、逆に植民地が独立するとき紛争が起きる。
こうした問題も憲法の問題として再考できるのではないだろうか。

その後に読んだ憲法学者の本が奥平康弘氏の「憲法を生きる」という自伝だった。

奥平氏は戦後アメリカに留学したという。奥平氏は現在も
「表現の自由」という憲法問題の第一人者と言われている。
探偵は奥平先生の本をかなり読んでいる、氏の「治安維持法小史」という著書は歴史的な名著と言われている。
この本を奥平氏がなぜ書くことになったのかはこの自伝にも記されていた。
 憲法の表現の自由の章に規定される「検閲はこれを禁ずる」という問題の前史としての戦前の検閲制度を射程に入れることで表現の自由が国家から侵害されるときにどういう事態が現出するのか日本に本当にあった生の歴史的事実を押えることで真実を明らかにするという作業が重要なことだと考えたからではないだろうか。

この自伝「憲法を生きる」では戦後における重要な事件:裁判として「チャタレイ裁判」が取り上げられている。
この事件は社会学的には「猥褻か芸術か」という視点で理解されているので憲法問題としてはあまり追求されていないが、奥平氏によれば表現の自由の問題として特に違憲審査制度の対象として問題にすることが出来るのではないかとされる。
その憲法問題の核心に触れる前に「チャタレイ裁判」のことを少し説明しよう、この事件は伊藤整という文学者であり、翻訳者が英国の作家ローレンスの小説「チャタレイ夫人の恋人」を翻訳したことでその翻訳小説が刑法175条(わいせつ物の頒布)に触れるという事件であった。
この小説の内容が「わいせつ」に当たるというのが検察の
起訴理由であるが、奥平氏の問題提起は「わいせつ」という刑法の表現があいまいであり具体的な基準としてはあまりに漠然としていて表現の自由を規制する法規としては違憲の疑いが強いという。
この問題は重要であり、現在でも問題になるであろう。

こうして最近、憲法学者の自伝的な著書を読むことになったが、いずれも市販されている「憲法教科書」と異なり著者である憲法学者の血の通った文章であり憲法学の内部あるいきいきとした問題に触れることが出来る著書であるという感想を持った。