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0153 政府をつくる自由 流水 2007/07/21-07:02:13
藤原帰一氏が、今回の選挙の意義について、【政府をつくる自由】だおいう意味のことをいっていた。これは大変含蓄のある言葉で、日本の政治運動を根底から変える意味を持っている。
抑圧からの自由。圧制からの自由等、自由という言葉には、常に何者からの自由という意味が付きまとう。日本では、これがさらに矮小化され、何者からの自由を叫ぶことによって自らの存在証明をなした、という発想が多い。

政治とは、常に権力奪取を視野に入れなければならない。権力を巡る熾烈な戦いが政治のダイナミズムを生み出す。最初から、権力奪取を視野に入れない政党など政党とはいえない。

【憲法は、国民が権力者に対して下した命令】という本質を持つ【立憲主義】が重要なのは、上記のような政治の本質を深く認識した上で、権力の行使に歯止めを掛けているからである。

選挙も同じである。選挙は、国民が為政者に命令を下すところにその本質がある。国民が政府をつくるのである。
国民主権の本当の意味は、ここにある。

しかし、明治以降日本では、本当の意味で、国民が政府を作ったことはない。民主主義国家になった戦後でも事情は同じである。これが、社会保険庁のでたらめな仕事に象徴される支配層の凄まじい腐敗・堕落を生みだした。特に、小泉内閣以降、【国民は操作できるもの】という権力のおごりは目に余る。それを固定化するのが改憲の狙いである。つまり、【国民が下した命令】から、【政府が下した命令】に憲法の意味を変えるところに、改憲の真の狙いがある。

今回の選挙は、戦後初めて国民が【政府をつくる自由】を行使できるチャンスである。言い換えれば、戦後初めて国民主権の本質的意味を実感できる糸口である。
【何者からの自由】という消極的自由から、【何者かをつくる】という積極的自由へと発想を飛躍させるチャンスである。もし、このチャンスを逃したら、国民は永久に【何者からの自由】という消極的自由を脱却できないであろう。

その意味で、今回の選挙は、過去の選挙と比較にならない重みがある。何が何でも、自公ファッショ政権の基盤を崩し、次期衆院選で政権交代を実現させる第一歩にしなければならない。