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0147 「コムスン」の問題から 千葉の菊 2007/06/12-05:05:57
今回の「コムスン」の不祥事を私は「起こるべくして起こった」という印象を持っています。
介護事業のように人が直接ひとりひとりの要介護者にサービスすることで成り立っている企業では、機械化を進めて人を減らすということはできませんから(あるいはどこかでその研究が進められているかも知れませんが・・・)、利益を上げようと思ったら「人件費」を切りつめるしかありません。
そうしたら、ひとりあたりの給料を下げるか、人を減らす以外ないのです。
その原因のひとつは「介護保険」の仕組みそのものにあります。
厚生省の役人が机上で作った制度ですので、介護を受ける側で支払える負担、制度を維持できる保険料、できるだけ少ない国庫負担から介護報酬は割り出されています。
したがって「ヘルパーは扶養されている専業主婦が片手間にやれればよい」という程度の報酬しかもらえず、とてもそれを「職業」として続けていけるようなものではないのです。
自分の給料と比べてみれば、そんなことは明白なのですが、役人たちにとってヘルパーの生活など「他人事」に過ぎないと考えているのでしょう。
「でも、そんな報酬をヘルパーが受け取れるようにすると介護費用が高くなって、要介護者の負担が増え、必要な介護が受けられなくなるではないか」という声が聞こえてきます。
確かに介護費用は増えます。
けれども本当に必要な事業であれば、費用負担が増えても「社会」として行わなければなりません。
あとはその費用の負担区分をどうしたらよいかということです。
国の予算が足りないというのなら、こうしたための予算と軍事費や工事をすることだけが目的の公共事業の予算とどちらを選ぶか、国民に問えばよいのです。
多くの自治体や国の機関で、事業(だけでなく、施設の清掃、警備等の管理)を「民間」に委託することで予算を削減していますが、言い換えると同じ仕事をして、より少ない収入しか得られない人を増やしていることでもあります。
医療についても、小児科や産婦人科、そして地方に医師が足りなくなり、システムそのものが危機に瀕しています。
医療費も雪だるま式に増えて保険制度を危うくしている一方で、多くの病院の経営が困難になってしまいました。
いったい膨大な医療費はどこへ消えているのでしょう。
福祉、医療、教育といった、私たちの生活に欠かせない社会システムを「ビジネス」にゆだねている現状は、果たして私たちにとって、そしてそれを「仕事」として働いている人たちにとってよいことなのでしょうか?
前にもこのコラムに書きましたが、国鉄や電話、郵便等、国が行ってきた多くの事業が「民営化」されました。
それによってこうした事業が「効率的」に行われるようになったのか、我々にとってよいシステムになったのか、私には何とも言えません。
ただはっきりしているのは、「民営化」によって、この事業で働いてきた人びと、働いている人びとの待遇が確実に悪くなったと言うことです。
また、これらの事業や福祉、医療、教育の現場で働く人たちに、明日への不安が多い不安定な雇用による人たちが増えているのも事実です。
誰もが安心して暮らせる社会にするために、みんなのものである社会的なシステムを守っていく必要があります。
そのためには、そのシステムで働く人びとも安心して暮らせる必要があると思います。
グッドウィルグループは介護事業から撤退するようです。
ピンクのトレーナーを着て働いていたコムスンのヘルパーやケアマネージャーは働き続けることができるのか心配です。