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0136 愚民政策をたたく くぬぎ林 2007/04/02-23:44:30
 このところ体調がよくないので、あまりまとまったことは言えそうにないが、今、気になっていることは、最近の政府や都の教育への一種妙な、余計なお節介である。

 たとえば政府の、愛国心というわけのわからないものの強調と、都の「君が代」や「日の丸」の強制とかである。 
 都知事選の四人の候補の討論会でも、石原の妙な愛国心の強調に誰も正面から否定しなかったことに示される、愛国心が一種、批判されない聖域化されそうな感じなどに見られる傾向もそのひとつである。

 くぬぎ林の経験では、権力側によって評価される愛国心などというものはたいていインチキで、軍人が国を誤るといえば、それを愛国心から言っても、非国民扱いでぶん殴られたものである。
 そんなつまらないものは、教育で押し付けるものではなく、子供たちに教える道徳は「己の欲せざるところを人に施すことなかれ」という単純な原則だけで十分である。

 こういった問題や、教師への管理をやたらうるさくし、教育という名目で雑務を増やし、自分の時間を与えないで、自分でものを考える時間をなるべく与えないようにする教師への愚民教育、その結果の子供たちへの愚民教育を考えてみると、現在の教育へのいろいろな改革案はすべて、教育そのものの完全な崩壊をめざしているとしか考えられない。

 実際、都の小中の先生がたに聞くと、自分の時間のまったく持てない惨状は目を覆うばかりである。そして今、都知事選での石原優勢の報道を聞くと、そうなればこの教育崩壊が国民の一割、一千万の都民にのしかかってくるであろうことを考えると、日本の将来は、改憲が通らなくてもとても暗いといわざるを得ない。

 わたしの考えるところでは、教育というものは、安倍とか石原といった無知な政治家や、いわゆる教育の専門家と称する人達が、いじくればいじくるほど駄目になるものである。戦中から戦後、教育は常に世の教育専門家によって愚劣なものに変えられてきたように思われる。
 
 いかに己がものを考えるかではなくて、いかに人を<教育>するかだけを学ぶ戦前の師範教育、戦後の教育学科教育が、諸悪の根源だと考えてよい。
 
 この点についてはまだまだ言いたいこと、その例証は沢山あるが、今回はこれだけにしておく。