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0134 都知事選、そして野宿の人々 2007/03/20-20:18:14
地方選挙が近い。東京都でも候補者が出揃ったようだ。

私たちは自ら生活を支えようと一所懸命働くが、たとえば失業または破産、病気、事故、離婚などが重なったら、障害を負ったり家を失うことだってないとは言えないだろう。地方政治は、そういった社会的弱者となった人々を直接救う政策が可能だと、私は常々思っている。

たとえば「自立支援法」は利用者1割負担だが、東京都では、障害者の施設利用費用を区(みんなの税金)で負担するところと、利用者負担させる区がある。障害者が今まで通って訓練を受けたり、働いて稼いだり、居場所ともなっていた施設を利用できなくさせるのはどちらか、すぐ分かるだろう。

社会的弱者といわれる人たちにまで光が届くような政策を打ち出している候補者は誰か。所得格差が広がっているという今こそ、この見分け方を、候補者の選択の基準に、ぜひ入れたいと、私は思う。

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私の住んでいる街では、ホームレスの人を時々見かける。大荷物を持っていることと、鼻をつく悪臭ですぐそれと分かる。

その度に、お風呂に入ってもらって髪も洗ってさっぱりとして、洋服も洗濯して、空腹かもしれないからご飯も……と思ってしまう。しかし一度もしたことがない。その後どうするの? 夜の街に放り出すの? 1泊ならなんとかしても一緒に暮らす部屋などない、無理だ、全く余計なお世話だ…などと思うと、超が付くオッチョコチョイの私でもできない。しかし、ホームレスの人と出会うたびに、繰り返し同じように感じ、そして自分が恥ずかしく情けなく、非情な人間だと思う。

しかし、ある会で、それをしている人に出会った。山谷の炊き出しに参加したのをきっかけに、老いたホームレス女性のグループホーム「ふうせん」を開いている角田妙子さん。「ふうせん」の入居資格は「野宿をしたことがある女性」だそうだ。福祉事務所から連絡が来ると、その家につれてきて、やはりお風呂と洗濯・着替えとご飯、眠る部屋……。

来た当初は、嘘をついたり、口もきかない人、家族や親戚の悪口雑言、不幸な一生を語る人、家庭を子供を捨てた女だと自分を責め続ける人……しかし、そんな話を繰り返し聞いていると、いつか幸せな人生に変化していることが多いそうだ。「私は幸せ者だ」とか、新聞を見て「子供の面倒を見ない親なんて」と怒っていたり……。

嘘をついているわけではないと、角田さんは言う。「不幸な人生だったと思うより、幸福だったと思える方が良いでしょう」と。「自業自得ともいえる人生だってあるけれど、それだからって不幸な老後でいい、野垂れ死にしていい、というわけじゃない」とも。

「看取って送るのはつらいのよね」と呟きながら、最期まで穏やかに送れる家をスタッフと共に支えている。「5人しか入居できないのだけど、いま、暴力を避けるシェルター機能つきの部屋を増やそうとしているの」と、初めて援助会員を募集している最中だそうです(「護憲+ブログ」参照)。