呼出完了
0125 いま、憲法を生かすために 笹井明子 2007/01/15-09:49:32
安倍総理は、防衛省昇格の式典において「集団的自衛権行使」を強く示唆し、ブリュッセルのNATO理事会では「自衛隊が海外での活動を行うことをためらわない」と表明。憲法から逸脱した安全保障政策を吹聴し、現憲法がすでに過去のものであるかのように振舞い続けています。

憲法前文を著しく歪曲してイラクへの自衛隊派遣を正当化した小泉前総理に続く、専守防衛からの逸脱を公言してはばからない安倍総理。憲法を国の最高法規と規定し(98条)、憲法尊重擁護義務を明記した条文(99条)があるにも係らず、それに反する言動をためらわない、政府自民党の自信の根拠はどこにあるのか。強い苛立ちと疑念の中、二ヶ月ほど前に読んだ丸山真男の文章を思い出しました。

丸山真男は「世界(1965年6月号)」の中で(*)、憲法九条と政策決定の関係についての支配的な二つの議論、『建て前(理想)と現実の二元論』と、『運動場の柵論(憲法は政策決定のまわりにめぐらせた塀あるいは柵)』について述べ、前者は、憲法を現実遊離の理想論、『リップサービス』として扱えばよいとする姿勢を、後者は『防衛力がある限度を越えない限りは、防衛力を漸増しようが漸減しようが、現実の情勢で政府がどうにも決定できる』という認識を生む。いずれにしても、これらの議論は共に政府の恣意的対応を許す根拠となることを指摘しています。

確かに現在の政府は、防衛政策について柵の境界ギリギリまでやりたい放題のことをやって、いよいよ境界を逸脱する段階になった今、「理想と現実の二元論」を前面に押し出して、柵を取り払うための「改憲」を断行しようとしているように見えます。

この議論を丸山は、スタティック(静態的)な理解と批判し、第九条や憲法前文の本来の意味を、『政策決定の方向づけ』と捉えるべきだとの考え方を示しています。「方向づけ」と捉えれば、『政府は、防衛力を漸増する方向ではなく、それを漸減する方向に不断に義務づけられ』、『国際緊張を激化させる方向へのコミットを一歩でも避け、逆にそれを緩和する方向に、個々の政策なり措置を積み重ねてゆき、国際的な前面軍縮への積極的な努力を不断に行うことを義務づけられている』ことが理解されるはずです。実際これこそが、私たちが「憲法遵守」を言うときに、政府に期待し、あるいは要求していることの本質ではないでしょうか。

丸山はまたアリストテレスの言を引いて、『政策決定によってもっとも影響を受けるものが政策の是非を最終的に判定すべきである』という民主主義(デモクラシー)の基本を示し、『主権者たる国民としても、一つ一つ政府の措置が果たしてそういう方向性をもっているかを吟味し、監視するかしないか、それによって第九条はますます空文にもなれば、また生きたものにもなる』と、私たち主権者の果たすべき責務についても警鐘を鳴らしています。

安倍総理は、来る参議院選挙において改憲を争点とする、と言明しています。これまでの言動を見れば、安倍内閣の政策が、国際緊張の激化にコミットしようとしているのか、あるいは緊張緩和の方向を目指しているのかは、明らかです。

安倍内閣による初の国政選挙を前に、私たちは、40余年前の丸山真男の忠告を受け止め、憲法を生きたものとする、ラストチャンスに近づいているのかもしれません。

*(「『世界』憲法論文選1946-2005」(岩波書店)収録)