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0124 陪審制度と裁判員制度 名無しの探偵 2007/01/08-20:47:37
1、近い将来わが国に「司法の民主化」という法目的を実現するために「裁判員制度」が制度化されることになった。
しかし、現在の国民の大多数はこの「裁判員制度」が初めての国民による司法参加制度であると思っていると推測できる。
ところが、こうした国民の司法認識は誤っている。そして、この誤った認識は国民の側に無知があり責任があると
考えてはならない。
政府、マスコミ、教育機関、学者による広報活動の不徹底のためなのである。
かつて日本の大正年間に陪審制度は実施され15年もの間
各地で実行されていた。
探偵が学生の頃、森長英三郎という弁護士が法律の雑誌に
「史談裁判」という連載物を掲載されており、その中にこの陪審制度の顛末が書かれてあった(と思う。)
森長先生によれば陪審制度が「休止」(廃止ではなかったのである)になった理由の一つとして陪審制度によって無罪率が高くなったので休止されたという。
(この理由は現在からすると国家主義的で酷いものである。)
現在憲法改正などの政府による画策がなされているが、戦前のいわゆる大正デモクラシーが戦後の民主主義よりもある意味画期的な制度改革を実現させていたことは銘記されるべきであり、共謀罪を制定させようとしたり、教育基本法を改悪して戦前のような教育制度に戻そうとしたりする
現在の政権よりも大正時代の政権の方がましだったのである。

2、さて、この陪審制度とこれから実施される「裁判員制度」はどこがどう違うのであろうか。
陪審制度というものはアメリカとイギリスでは大分異なるところがあるが、基本的な部分は共通している。

つまり、陪審制度においては被告人が有罪であるか、無罪であるかの「事実認定」に関しては職業裁判官の参加はなく、専ら素人である陪審が評決することになっている。
こうした側面は古くはアメリカ映画「怒れる12人」(ヘンリー・フォンダ主演)という作品で記憶されている人も
多かろう。
この側面において、陪審制度は職業裁判官:司法官憲を排除して絶対的な権限を握っているのである。

一方、英米の陪審制度に対して大陸法と言われるドイツや
フランスでは陪審制度ではなく、参審制度というものを採用している。
この制度では職業裁判官と素人裁判官が共同して審理にあたり、事実認定も共同で行う。
その結果職業裁判官が素人裁判官を指導できることになり、主に職業裁判官が主導で裁判の各段階を支配することになる。
日本の裁判員制度は明らかに大陸法系の参審制度を採用したことは間違いない。
歴史的に見れば大正時代よりも司法の民主化:国民の司法参加は遅れていると言っても過言ではない。

3、こうした観点から総合すると現在の国民は民主主義の
達成度というレベルでは文明度は低く教育も技術力は圧倒的に高いが文化的かつ精神的な修練において遅れていると
言われても仕方がないかもしれない。
陪審制度が実現できるような民度の涵養が近い将来達成され「裁判員制度から陪審制度へ」のレベルアップが望まれる。

(付言、次の回では憲法改正問題と選挙制度に触れてみる、陪審制度も同様だが、憲法が施行されてたった60年しか経っていないのに根本的に改正される可能性が高いが、実はほとんど根幹の部分では改正されていない民法と
刑法は明治30年前後に制定されたものである。老舗の民法と刑法が民主主義的な改変が行われず、逆に新参者の憲法が根幹部分で改変されてしまうのは明らかに「権力の巧緻」が働いていると言うべきなのである。)