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0123 「経済学」を学びたい 千葉の菊 2007/01/01-10:13:12
私はリタイアしたら三たび大学へ入り「経済学」を学びたいと思っています。
それは、私が「経済学」というものに全くの素人だからかもしれませんが、現在マスメディア等から流される「経済」についての情報がひどく偏っているように思えることと、「経済学」の概念そのものに疑問を抱いているためです。
私にとって「経済」についての「原風景」といったものがあります。
ひとつは、子どもの頃何故か「金儲けは悪いこと」(正確には「悪いことをしなければ金儲けはできない」)と思いこんでいたことで、大きなアメリカ製の乗用車に乗っている人や豪邸に住んでいる人はきっと悪いことをしているに違いないので、ああいう人たちのようにはなるまいと考えていたことでした。
もうひとつは、高校生の頃です。
主にアジアの国々で、地方に暮らす人々が現金収入が得られず大都市へ大量に流れ込み、スラム街があちこちにできる状況を見て、この問題の諸悪の根源は「商品経済」(あるいは「貨幣経済」)にあると直感したことです。
つまり、それまではお金がなくても、貧しくはあるが生活できたものが、欧米から「商品経済」を強いられ、元々彼らがはぐくんできた「生活文化」というのもが破壊されてしまったと考えたのです。
そんな感覚で育ってきましたから「金儲け」や「経済」といったものには全く関心のないまま(自分とは無縁なものとして)過ごしてきました。
それが、いわゆる「バブル期」になって「金儲けをしなければならない」という強迫観念に多くの人々が陥り、それまで一部の人たちのための情報だった「平均株価」が一般のニュースで報じられるようになって「世の中、おかしな方向へ向いてきたな」と思うようになりました。
それから「経済」というものに関心を持ち始めました。
「経済学」の概念に疑問を持つようになったのもそれからです。
たとえば「経済成長」という概念があります。
「富」(我々が使える資源エネルギー等、経済活動に使える原資)の総和は無限ではないと思います。
そうすると熱力学の法則(エネルギー不変率、エントロピー増大率)から言って「経済成長」などあり得ないのです。
つまり、ある地域の「経済成長」というものは他の地域か子孫から「富」を奪うことでしか成り立たないのです。
そもそも「経済」というものは、我々が生活に必要とするものを得るための社会活動だと思います。
それが何故「商品経済」だけを指すようになったのでしょう。
「経済学」で取り扱っているのも「商品経済」ばかりです。
「お金」というものは必要なものを得るための手段にすぎず、それ以外の何ものでもありません。
持っているだけでは何の価値もないものです。
けれども、その「お金」というものに特別な力があると信じて、それを集めることに多くの人々が駆り出されています。
「お金」を集めるために必要でもないものを欲望を煽って売りつけ、多くの資源やエネルギーを費やしているのが今の「経済活動」ではないでしょうか。
全世界の3分の1の人口を占める中国とインドが盛んな「経済成長」を続けています。
彼らが現在の日本並みの食料やエネルギーを消費するようになったら、この世界はどうなってしまうのでしょう。
そのようなことを考えると「本来の経済」とはどうあるべきなのか、と考えざるを得ないのです。
それで私はもう一度大学に入り直し「経済学」を学びたいのです。