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0118 「恫喝」よりも「説得」を 笹井明子 2006/11/27-14:27:59
核保有論に始まり、従軍慰安婦に関する河野談話の見直し、専守防衛を宣言した福田談話の見直し、非核三原則の論点整理発言などなど、安倍自民党政権は、憲法に謳われ、曲りなりにも60年間守られてきた「平和主義」の切り崩しの意志を、明確にし始めている。

また、タウンミーティングでのやらせ、郵政造反議員の復党問題、さらには、沖縄県知事選後の久間長官による「普天間飛行場の移設は力ずくでもやるつもりだった」の発言など、国民の意識を操作誘導するばかりか、選挙によって示された選挙民の意志さえも、自分たちの都合でないがしろにして良いのだという強権振りが目に付く。

「国家の役割とは何か」(ちくま新書・櫻田淳著)によれば、国家とは、『<恫喝><誘導><説得>という三つの手段を駆使して、内に対しては「統一」を図り、外に対しては「独立」を保つことを目的とする政治共同体』と定義でき、また「権力」とは、『他の人々に対して自分が欲することを<否応なく>行うように働きかける営み』であるという。

日本国憲法は、最大の「恫喝(力の体系)」(=武力行使)を放棄し、「説得(価値の体系)」(=諸国民の公正と信頼)に自らの存在の拠り所を置いている。確かにそれは、政治の論理からすれば不完全なものだろう。実際には、戦後目覚しい経済発展をとげた日本は、主として「誘導(利益の体系)」によって国内の安定を図り、国際社会の中で一定の地位を築いてきたともいえる。

そして、バブルが崩壊し「誘導」が難しくなったのと呼応するかのように、小泉内閣から安倍内閣に続く自民党政権は、誘導型政治を脱皮するとしながらも、それに替わるものとして、恫喝型政治を強く指向している。

しかし、世界各地で起き続ける戦争状態、テロの頻発、イラク戦争の失敗、国内で日常茶飯化しているいじめや虐待や自殺等々、権力が力を誇示すればするほど、人の心には、「否応なく」押し付けられることへの嫌悪や怒りが生まれ、それは暴力の応酬や虚無へと変容していく。力による解決の限界はいま様々な形で明らかになっている。

政治についてきわめて現実的な櫻田氏であるが、それでも著書の中で、「殺すより盗むがよく、盗むより騙すがよい」というウィンストン・チャーチルの言葉を引いて、「<恫喝>よりも<誘導>がよく、<誘導>よりも<説得>がよい(賢明だ)」と述べている。さらに、ジャワハルラル・ネルーの「愛は戦いである。武器の代わりが誠であるだけ」や、勝海舟の「政治家の秘訣は、『誠心誠意』」の言葉を紹介している。

日本国憲法を持つ日本は、一周遅れの恫喝型政治を志向するのではなく、「説得」におけるトップランナーとして走り続ける国であって欲しい。そして、『「説得」の効果を根底で支えるものは、結局は、「真面目」や「誠実」』であるということを、政治を志す者は思い出して欲しいし、そういう政治家をこそ私たちは応援していきたいと思う。