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0117 大学における「学問の自由」 名無しの探偵 2006/11/21-16:41:22
大学院で卒論を書くことになったが、最初抱いていたイメージとは異なり、卒論指導のあり方がその内容面にまで及び、いささか驚いていている。

卒論指導の教員は私より大分若い助教授であるが、読むべき著書まで決められている。読むべき本は自分で選択するのは当然だと思っていたが、どうも違うらしい。おまけにいかなる結論で卒論を書くのかまで何かとうるさい。

卒論の『テーマ』を「違憲審査制度と立憲主義」としたところ、助教授から「平和主義の問題に絞って書いてください」と指導を受けた。そして『結論』として「この間に成立した一連の有事法制(周辺事態法など)が違憲である」として自説を展開することを書き送ったところ、その助教授からクレームが来た。

「平和的生存権が裁判規範であることを当然のこととして、違憲審査制度の適用を結論付ける方向にまっしぐらであるが、頭を冷やして再考してください。」「あなたの覚書では、現在が憲法の重要な岐路に立っているというが、そういう認識に立つ国民は少数であり、戦後生まれの大半は岐路だと思っていないのではないか」というのである。

彼によれば、違憲審査制度の適用を肯定する結論は憲法学会では極めて「異端」であり、私が依拠する杉原恭男説は国民主権論において「危険思想」であるという。

違憲審査制度の適用を肯定(有事法制が憲法九条に違反するということ)する根拠として、国民主権の原則から裁判官の権限だけではなく、国民も違憲審査制度の主体であるという構成になることを、「危険」な考えであると言うのである。

確かに彼の論理には一理あるかもしれないが、そこまで言うと内容面に及ぶ干渉になるのではないだろうか。こうした指導が示された上で、そうした憲法学会での孤立を甘受するというならどうぞとのお言葉を頂戴した。

憲法学会で孤立することなど屁とも思っていないので、結論を変える気など毛頭ないが、結論の行方まで大学側で注文をつけるとなると、もう「学問の自由」などお題目に過ぎなくなる。