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0115 雀百まで踊り忘れず 宮天狗 2006/11/06-06:18:05

一人っ子の私にとって兄のような存在だった13歳年上の父のいとこMは、中学生のとき模型機関車の全国コンクールに優勝した、手先が器用なだけでなく繊細な神経と豊かな感受性の持ち主でもありました。

そんなMにとって、暴力といじめが日常化した軍隊生活は耐えがたかったらしく、兵役を終えて帰ってくると姉のように慕っていた母に、その苦難の日々を切々と訴えていたのをしばしば耳にしています。

私は子供心に大好きなMを苦しめた軍隊が疎ましかった。何もできない自分が悔しかった。おりしも盧溝橋事件を契機として日中両国は戦争状態に突入、日本軍は破竹の勢いで南京を攻略して人々は旗行列だ、花電車だと浮かれ騒いでいました。

男の子は競って日本海海戦、爆弾三勇士そして南京陥落などの絵を描きまくったけれど、私は身近な静物や風景しか描かなかった。「尊敬する偉人は?」の質問にみなが東郷元帥、乃木大将、広瀬中佐などを挙げたのに対して、アインシュタインと答えて教室をシンとさせたりしたのが、臆病で弱虫の私にできた精一杯の抵抗でした。

中学に入るころは米英との間が険悪になって翌年ついに真珠湾攻撃によって戦いの幕は切って落とされ、食糧管理法はじめ戦時特別法が次々と施行されて国民への締め付けは強化されるばかり。私はひたすら沈黙を守る一手でしたが、何も言わないことが戦争に対する非協力とみなされ、とうとう「WC」というあだ名をつけられてしまいました。

これは言葉どおりの意味とウィンストン・チャーチルの頭文字をかねていて、つけられた本人が思わず感心してしまったのだから世話はありません。

それから60数年の歳月が流れて少年は老人になったけれど依然として無力で何もできない濡れ落ち葉。でもこんなことを書ける自由があるのはすばらしい!どうか安倍さん この国を1930年代に戻したいなんて考えないでくださいね。