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0114 歴史的概念としての「法の支配」 名無しの探偵 2006/10/31-06:27:06
学生時代から憲法学や法の哲学を学んで来ましたが、いわゆる教科書とされている本には(あれもこれも書き込まないといけないので)法の支配や立憲主義の定義は書かれてあるのですが、肝心の「なぜそのような原理、概念が成立したのか」つまり、「歴史的な成立事情」は省略されています。

まず、法の支配の概念ですが、これは何人も法以外のものには拘束されないという概念であり、英国の16世紀から17世紀にかけて成立されたものであり、「人の支配」と対置されると定義されています。

しかし、この説明ではこのマグロはインド洋で捕れましたという魚屋の説明と同じで味も素っ気もありません。探偵がこの時代の英国で起こった事件として記憶に残っているエピソードとして次のようなものがあります。

トーマス・モアという聖職者が時の国王ヘンリー8世の逆鱗に触れてロンドン塔に幽閉された事件です。映画化されたので記憶されている方も多いと思います。この事件こそ「法の支配」に関連するものであると思います。

その内容ですが、国王ヘンリー8世は皇后に愛想が尽きて愛人を作り、皇后と離婚して愛人と結婚したいと考えました。しかし、当時の英国の法はカソリックの教義に基づき、離婚は許されていません。国王といえども国法に従うとされていたので聖職者のモアは国王の勝手な離婚に反対して幽閉されたのでした。

こうした事件では多分英国の裁判所もたとえ国王といえども法に従ってもらう、という先例を慣習法として定着させたのではないでしょうか。(英米法は原則的に成文法は持たない国で判例によって法律を作っています。)こうして「法の支配」という概念が「歴史的に」成立したはずです。

翻って現在の日本に視点を移してみます。そうすると、小泉さんが毎年公式参拝を重ねた靖国神社の問題がすぐに想定されると思います。小泉さんは中国韓国などとの外交に亀裂が走ることを十分に承知していて「靖国に参拝するのは個人の自由であり、心の問題なので」干渉するのはおかしいとご託を並べています。しかし、この態度は中世の国王ヘンリーも驚くような勝手な言い分です。

憲法で政教分離原則を定め、特定の宗教団体を利するような行為は禁止されています。小泉さんほど「法の支配」を逸脱し「人の支配」の論理を声高に叫ぶ首相も珍しい。この場合の「人の支配」というのは自分勝手に法を破り、恣意的な行為を正当化することを端的に表現するものです。こうした首相なので共謀罪に代表される悪法を制定しようと策動することになるわけです。

アメリカ映画に「ダーティ・ハリー」という人気映画がありましたが、この映画の中でハリーは「俺が法律だ。」と言って犯人を捕まえる場面がありました。これが「人の支配」です。映画の中ならいいですが、実際に権力者が「皆俺の言うことが法律だ」といい始めたら大変です。靖国参拝、共謀罪の制定策動は「法の支配」ではなく「人の支配」であると考えることができます。

立憲主義も同じような思想、原理でこれは18世紀の後半に「絶対王政の下にあった国王の権力を制限しようとする動き中で成立した概念であり」、そこから国民の人権保障と権力分立の原理が成立したとされています。こうした歴史的な概念の成立事情は重要です。

安倍首相の言うように何でも憲法の解釈で出来るとされると、憲法もたまったものではありません。安倍首相も小泉元首相も、憲法の解釈にはルールがあり、何でも解釈自由と言うことではないということが全然分っていないのでしょう。即刻リコールされるべき政治家なのです。