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0112 進行しつつある学校の退廃現象 流水 2006/10/17-08:35:24
北海道の滝川市での小学生のいじめ自殺事件、福岡の三輪中学のいじめ自殺事件などで、教育委員会、校長、教師などが厳しく指弾されています。
しかし、マスコミ報道は問題の一端しか明らかにしていない。
一体、今学校で何が起こりつつあるのか。少し、長文になりますが、説明してみます。

今朝の朝日新聞に注目される記事が掲載されていた。

「校長のパワハラ」と題された記事はこう伝えています。
「千葉市立中学校の50代の男性教諭が9月に自殺し、原因を調査していた同市教育委員会は、校長による行き過ぎた指導が背景にあったと認定し、近く校長を処分する方針を固めた。教務主任だったこの教諭は職場で、校長から繰り返し怒号を浴びせられるなどしていたといい、市教委はパワーハラスメント(職権を背景とした嫌がらせ)に当たると判断した。 ・・・」
http://www.asahi.com/national/update/1017/TKY200610160380.html

さらに、文部科学省の統計で、子供たちの自殺は毎年100名を超えているが、99年からいじめ自殺は一名もいないという数値が報告されています。

これらの事実を総合的に判断すれば、学校の倫理的退廃が深く浸透しつつあるのが見て取れます。

まず、ゆとり教育ばかり話題になりますが、その改革の時、文部科学省は、【職員会議は伝達機関】として位置づけたのです。その結果、職員会議が形骸化し、教師間の論議がなくなりました。わたしの現役時代、職員会議は議論の場でした。子供の現状を見ながら、指導をどうするかという教師の教育観が問われる場だったのです。

しかし、現在は、校長⇒教頭⇒教務主任⇒生徒指導主事・学年主任⇒一般教員というヒエラルヒィーが確立し、上意下達が徹底しています。
教師たちは、自分のクラスにいじめがあると、自分の指導力不足の証明になるため、できるだけ隠そうとします。まして、出世したいと願う教師はなおさらです。
当然ながら、問題児と呼ばれる子供を担任すると、問題を起こす確率が高くなります。問題が起きると自分の評価に響くので、できれば問題児を担任したくないという心理が働きます。
ですから、問題を起こした子供をうとましく思う心理が働くのです。「お前のお陰で俺の評価が下がる」というわけでう。
福岡の三輪中学の教師はこの典型だと推測できます。

同じ心理メカニズムが校長にも働きます。自分の学校でいじめがあるとそれは校長の評価に響きます。だから、明白な「いじめ」を「いじめ」と認めないのです。ですから報告にはいじめは0となるのです。
また、いじめを防げなかった教師は指導力のない駄目教師と断罪します。【俺の立場はどうなるんだ】というわけです。そうやって、部下の教師を責めるのです。
千葉県の事件の場合、この校長権力が異様に強くなった象徴なのです。

マスコミが指摘しないのは、こういう学校体制それ自体が【いじめの構造】そのものだということです。
教師が恒常的にいじめ体質の中にいて、子供のいじめがなくなるはずがないのです。

「いじめ」の心理の根底にあるのは、セルフエステイームの感情です。【自尊心】は人間を成長もさせるし、退廃もさせる諸刃の剣の感情です。
【自尊心】を失った人間は生きる意欲を失います。しかし、【自尊心】が異様に強いと、他者を傷つけます。
この諸刃の剣の感情をコントロールできる人間関係や環境をどのようにして創出できるかに、「いじめ」をなくす鍵があるのです。

その意味では、現在の学校環境は、いじめを再生産することはできても、いじめをなくすことはできないシステムになっているのです。
世間の目には見えないのですが、学校・教師の倫理的退廃は確実に進行していると言って良い、と思います。